オレがこのブログを書く上で最も気を遣い、
そしていまだに自分を納得させるだけの結論が出ていないのが、読点の使い方である。
読点の使い方に明確なルールはない。
常識的な使い方や上手い使い方というのはあるし、使いすぎれば読みにくくなるのが普通ではあるが、
基本的には文節の切れ目であれば読点はどこに打ってもいい。
また、極端な話、読点をまったく打たないからといって、それは間違った日本語ではない。
読点をまったく打たなければ読みにくい文章になるのは目に見えている。
オレはロースクールの授業に伴う勉強の過程で大審院(最高裁の前身だ)の判決文をいくつも読んだが、
それらの判決文には句読点は一切ない。
当時の判決文は漢文調でなのでそれが正式だが、どう考えても読みにくいし、当時の人もさぞ読みにくかっただろう。
だが、読点を打ちすぎると、また同様に読みにくい文章になる。
たとえば、このように、文節の、区切れごとに、いちいち、読点を、入れて、いけば、読む側は、さぞ、苦痛だろう。
しかし、上のような文章も間違いではないので、
結局、読点の打ち方は書き手のセンスや技量に委ねられてしまう。
文章を書く技量が高ければ、読点をほとんど打たずとも読みやすい文章を書くことがある程度可能だ
(もっとも、大審院の判決文はプロが書いていても読みにくいので、限界はある)。
だがオレにはそこまでの技量がないので、読点を使う必要がある。
そうなると、使い方に明確なルールのない読点を自己判断で使うのだから、
読みやすい位置に適切に読点を使うセンスが要求されることになる。
オレにはおそらくそのセンスもあまりないから、読む人に迷惑をかけているかもしれない。
オレは数年前からブログを毎日書き続けることで以前よりもだいぶ書きたいことを書けるようになってきたが、
この読点の使い方に関しては、いまだに悩ましいのである。
【今日のまとめ】
英語はスペースがあるので良い。というわけで。
- 2017/07/20(木) 16:27:10|
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