オレが車を運転するとき、助手席に母を乗せることがある。
そのとき、危ない状況(正確には、母が危ないと感じた場面である)になると、母はきまって金切り声で叫ぶのだ。
それはキャーという叫びであったり、もう少し意味のある言葉であったりする。
オレは、その状況よりも、母の叫び声のほうに驚いてしまい、余計に事故を起こしそうになる。
そもそも、母が叫ぶときは、たいていそれほど危ない状況ではない。
助手席からはブレーキやアクセルが見えないから、
母の運転とはブレーキをかけるタイミングが少しでも違うと、
きっと、オレが停まるべき場面をノーブレーキで突き進もうとでもしているかのように思え、それで危ないと感じるのだろう。
人によってブレーキを踏むタイミングは少しずつ違うから、それ自体は分からないことはない。
オレも他人の車の助手席に乗っていて、まだ停まらなくて大丈夫なのか、などと思うことはある。
だが、なにも叫ぶ必要はないのではないかと思う。
危険であったり恐怖を感じる状況に置かれた際、叫ぶのは圧倒的に女が多いというのがオレの実感だ。
少なくとも、キャーと金切り声を上げる男はほとんどいないだろう。
多少、うわっ、などと叫ぶ男ならいるかもしれないが。
いわゆる絶叫マシンなどに乗っていると、それはよくわかる
(ちなみにオレは、絶叫マシンに乗ると、怖くてむしろ声を出す余裕すらない)。
なぜ女ばかりがキャーと叫ぶのだろうか。
海外のパニック動画などをYouTubeなどで見ても、やはりキャーと叫ぶのはほとんどが女である。
もちろん叫ばない女もそれなりにいるのだろうが、キャーと叫ぶのは圧倒的に女が多いということには変わりがない。
これは女の原始的な本能か何かなのではないかと思う。
太古、人間の先祖が狩りをしていたような時代には、
女が大型動物や他の男に襲われそうになった場合、遠くにいても聞こえやすい金切り声で叫ぶことで、男に助けを求める必要があった。
いまは女も強いし(実際には女のほうがもともと強いのであって、
男が都合よく「男のほうが強いのだから助けるべきだ」というストーリーの下で動いているだけなのだが)、
大型動物に襲われること自体なく、仮に襲われてもスマホを使えばいくらでも助けを求められるから、特に叫ぶ必要もない。
だが、本能的な反射で、女は危ない場面になるとキャーと叫んでしまうのである。
キャーと叫ぶことは、いまは無駄な消耗だ。
だが、かつては必要な消耗であり、それが名残として残ってしまっているということだ。
それは厄介なことだが、どうしようもないのかもしれない。
【今日のまとめ】
これは差別ではない。というわけで。
- 2017/07/12(水) 23:20:41|
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