最近、「東京一極集中」という言葉をよく目にするが、それは否定的な文脈で使われることがほとんどだ。
決まって、何でもかんでも東京にばかり集まってずるいとか、地方にもよこせとかいう話になる。
だが、オレのように地方に住む人間からすれば、東京一極集中の方がありがたい。
東京一極集中に対する概念は「全国各地への分散」ということになるだろうが、
この行政機能は大阪、最高裁判所は四国、この大企業の本社は九州、このデパートの旗艦店は北海道、
などといちいち分散していたら、それらの移動だけで膨大な時間を費やしてしまう。
言うまでもないが、それは無駄な消耗にほかならない。
東京に移動すること自体は面倒だが、東京に移動してしまえば一回でいろいろな用事が済む方が楽だし、
各地の人間にとって最もロスも少ない。
たとえば九州から東京に出張するのは確かに距離があるが、
それでも、九州から北海道で用事を済ませ、九州に帰ったら今度は大阪、その後は広島、
というようにまるでランダムに飛ばされるより、東京にまとまっている方がいい。
そういう手間の話ではなく、単に自分の済む場所にないことが嫌なのだ、という人もいるのかもしれない。
だが、何かがあるということはそれ自体で消耗だ。
東京オリンピックは日本のイベントだが、それにもかかわらず東京都は多額の出費を強いられている。
地方には何もないが、その分、コストという消耗をしなくて済む。
そのコストだけをとって無駄な消耗とはいえないかもしれないが、先に述べた移動の問題を考えれば、やはり無駄な消耗だとオレは思う。
無駄な消耗を避けるには、
何が合理的か、
面倒なことは何であって、どうすればそれを避けられるのかを常に考える必要がある。
そうすると、東京一極集中はむしろ無駄な消耗を避けるための必然だということになる。
【今日のまとめ】
だが首都高はどうにかしてほしい。
というわけで。
- 2017/07/02(日) 20:00:00|
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