オレは無駄な消耗が嫌いだが
(いや、この言い方はおかしいかもしれない。
無駄な消耗が好きな人などいないし、そんな人間がいれば既に淘汰されているので、
「無駄な消耗を避けることを心がけている」の方が正確だ)、
無駄な消耗を避けようとするがために力を抜いて無意識的に行動した結果、かえって無駄な消耗をしてしまうことが時々ある。
たとえば、今日は、100円玉が複数欲しいので1000円札を崩そうと思ってコンビニに入り、
180円のアイスコーヒーを買ったのだが、100円玉2枚で代金を支払ってしまった。
「コンビニに入りアイスコーヒーを買う」ことだけが記憶に残り、本来の目的を忘れてしまったのだ。
これとは別に、同じく札を崩す目的だったのにSuicaで支払ってしまったことが複数あるが、
100円玉が欲しいくせに100円玉で支払って自ら減らしているのだから、それよりも今回の方がはるかに酷い。
むしろコンビニに入らなかった方が結果的に財布に残る100円玉の枚数は多かった。
これは完全にオレが嫌いな無駄な消耗にほかならず、オレは愚かだ。
やはり、無駄な消耗を避けるには、消耗が必要なのだ。
その消耗とは、注意や努力や選択だが、それは必要な消耗ということになる。
3か4くらいの消耗によって、何もしない場合に生じる10の消耗を避けるのであれば、
それは大きなメリットであり、差し引きで考えれば消耗がないことになる。
今回の例でいえば、オレははじめから1000円札を準備してコンビニに入ることができた。
それは大した消耗ではないが、それにより100円玉を失うという消耗を避けられたのだ。
オレは普段から「無駄な消耗を避ける」とばかり言っているので、もしかするとオレは無気力な人間だと思われているかもしれない。
それ自体はあまり否定できないが、
少なくとも、オレの言う「無駄な消耗を避ける」ということは、無気力に生きることではない。
それはむしろ、必要な消耗を恐れないということだ。
【今日のまとめ】
消耗を以て消耗を制す。というわけで。
- 2017/06/16(金) 22:17:23|
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