昨日、Twitter上で「ちょい悪ジジ」という単語がバズを起こしていた。
その記事はそのバズを受けてか現在削除されてしまったようだが、内容を簡単に言うと、
「女にもてたいおじさんは、美術館で女に画家の哀れな境遇を隣で説明してやったり、
焼肉屋で肉の部位について説明しながら、その部位に対応した部分の女の身体を触れ」というものだ。
オレはその内容についてはどうでもいいのだが
(このブログで、そんな低俗な内容について感想を書くのは無駄な消耗だし、何より感想がない)、
なぜおじさんはそれほどまでに若い女に執着しようとするのかと思ってむかついたのだった。
おじさんは端的に言って、古くなった男である。
古さはどうしようもできない。
よくおじさんを「かっこいい」と言う人間がいるが、それは単にその人間が個別にかっこいいだけだ。
おじさんであることそれ自体は少しもかっこいいことではない。
かっこいい人がたまたまおじさんであったというだけだ。
オレは火野正平をかっこいいと思うが、火野正平と同い年の単なるおじさんはほぼ全員がかっこ悪い。
かっこよくない人間がおじさんになることでかっこよくなることはあり得ないが、
それを勘違いしたおじさんは多く存在していて、見るにたえない。
オレは、歳を取っているくせに、そのことに背を向けていつまでも若い女に執着するおじさんが不気味で仕方ない。
おじさんなら、同世代のおばさんを愛せばいいのである。
綺麗なおばさんや性格のいいおばさんの多くは既婚者なので、独身の若い女に目を向けるしかないのかもしれないが、
それはその歳まで状況を放置したおじさんが悪い。
同世代に相手にされないおじさんが若い女に手を出し、
そうした若い女に手を出す様子が当の若い女や周囲から笑われる様子は、
哀れだし不気味だしあまりにも情けなく、
オレはオリンピックや北朝鮮のミサイルよりも、そうしたおじさんの末路が気になって仕方ない。
当然ながら、おじさんのそうした行動は無駄な消耗である。
なぜなら、若い女はいつまでも若くはないから、
万一若い女への求愛が成功しても、若い女への執着をやめない限り、その愛は破綻するからだ。
【今日のまとめ】
オレもあと何年この目線でいられるか。
というわけで。
- 2017/06/13(火) 20:46:27|
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