最近はSNSやメディアで、LGBTや発達障害などの社会的マイノリティに対して言及がされることが明らかに増えてきた。
それが結果として良いことなのかどうかはもうしばらく経たなければわからないが、
少なくとも、彼らを理解しようとか、彼らに対して寛容になろうという風潮になってきていることは間違いない。
だが、オレはどうも、「寛容になる」ということについてはあまりわからない。
オレは、LGBTや発達障害などのマイノリティの人たちの存在によって、特に何も嫌な思いはしていないからだ。
極端な話、彼らのことなど、いい意味でどうでもいいのである。
「寛容になる」というのは、本当は嫌だったり苦痛だったりするが、こちらが譲歩して受け入れてやる、というニュアンスを含む。
だが、オレは別にLGBTや発達障害などの人たちを嫌だと思わないし、彼らと関わることも何ら苦痛ではないので、
特に寛容になる必要もない。
逆に言えば、彼らに対して寛容になろうとしている人たちは、彼らの存在を嫌だとか苦痛に感じているということになりそうだが、
そこには何か理由があるのだろうか。
人間誰しも好き嫌いはあるので、それを表に出さない限りは何の問題もないのだが、
特に理由もなくそう感じているのであれば、それは無駄な消耗であるように思われる。
【今日のまとめ】
そもそも他人に興味がない。というわけで。
- 2017/05/28(日) 20:00:00|
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