就職や転職の話題になると決まって登場するのが、
出身大学によって生涯年収がいくら違うとか、高卒か大卒かで生涯年収がいくら違うとか、
留年したかどうかで生涯年収がいくら違うとかいう話だ。
オレは、そういうことを話すのは無駄な消耗だと思う。
なぜなら、その仮定には意味がないからだ。
たとえば、Aという一人の人間についてみれば、高卒のAと大卒のAが同時に存在することはありえない。
Aが大卒だとして、「高卒だった場合のA」は架空の存在でしかないから、
その架空のAが実際にいくら稼げていたかは、結局は推定でしかない。
もちろんその逆も同じで、
Aが高卒だったとして、大卒だったなら同じ会社でももう少し年収が高かったというのは一般論としては言えるが、
大学を卒業するまでの数年間にAはその会社に入るチャンスを失っていたかもしれない。
もちろんそうでないかもしれないが、やはり結局は推定でしかないのだ。
「あなたがタバコを吸っていなければあそこにあるベンツを買えましたよ」という無益なたとえ話があるが、
生涯年収の差を語るのは、それと同じくらい無益なことだ。
また、オレはきょう、自分が事前に予想していた馬の馬券を買わずに91万円を逃したが、
「それを買っていた自分」など存在しないのだから、「買っていたら」という仮定自体に意味がない。
どうしても人間はそうした仮定をしてしまう生き物だが、
それを出来る限り理性ではねのけていく、
すなわち、無駄な消耗を避けることこそが、より生きやすさを手に入れることに繋がる。
【今日のまとめ】
◎デンコウアンジュで1円も戻ってこない悲しみ。というわけで。
- 2017/05/14(日) 21:22:05|
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