憲法改正の話題がいよいよ本格的になり、
総理大臣は、2020年までに憲法改正に乗り出すという明確な時期までも打ち出した。
「憲法改正に賛成か反対か」という、そこら中で行われている問いかけには何の意味もない。
問題は「改正するか否か」ではなく「どう改正するか」にあり、改正する中身が重要だからだ。
人権が侵害される改正案であれば反対するに決まっているし、より優れた改正案であれば賛成するに決まっている。
そこにまったく触れずに「憲法改正に賛成か反対か」と訊かれても答えようがないし、
その解答が世論誘導にでも使われるのではないかという疑念さえ抱いてしまう。
そうした理屈の突き詰めはともかく、オレは憲法をすぐに改正すべきだと思う。
いま実際に、現実が憲法に合っていないからだ。
「憲法は国家権力を拘束して国民の権利を守る法である」という立憲主義の基本に立ち返って考えたとき、
現実が憲法に合っていない現状は、立憲主義が通用しているとはとてもいえない。
憲法が国家を拘束できていないからだ。
そうした状態を長期間放置すれば立憲主義が形骸化し、憲法が死文化しかねないから、これは危険なことだ。
直ちに現状に合った憲法改正を行い、憲法が国家を拘束できている状態を作り出す必要がある。
だが、デモなどで「立憲主義」を掲げる団体は、むしろ護憲に傾いていて、オレはそれが不思議でならない。
繰り返すが、国家権力を現実に拘束できていない憲法を護ることは、むしろ立憲主義を形骸化させてしまう。
オレは、「とりあえず憲法を改正してみる」というスタンスがあって構わないと考えている。
改正して、その憲法のもとで暮らしてみて、おかしいと思ったらまた改正すればいい。
改正した憲法は最低何年間運用しなければいけないというルールはないので、
理論上は、改正した次の総選挙の際にまた国民投票を行い、すぐに再改正することも可能である
(発議要件もあり、税金投入の問題もあるから、現実にそのようなことはないだろうが)。
どうも、「70年使ってきたから、今度の憲法も70年くらい使わなければいけない」というような無意識の誤りがあり、
それが不必要に改正論議を慎重にさせているようにしかオレには思えない。
もうおわかりだろうが、このような無意識の誤りこそ、まさに無駄な消耗なのである。
【今日のまとめ】
試験の論点っぽいところは全部条文に埋め込んで潰してほしい。というわけで。
- 2017/05/07(日) 20:37:38|
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