小学校の道徳の教科書検定で、「郷土愛不足」という理由でパン屋が和菓子屋になったり、アスレチックが和楽器屋に差し替えさせられたというニュースを目にした。
それは一定の指針があって決まったことだろうし、
オレはネット上に溢れる、無責任に文句ばかり言う連中が嫌いなので、それに同調して文科省を批判するつもりはない。
だが、郷土愛(指導要領の文言によれば「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」)とは何だろうか。
批判ではなく、オレはそこが純粋に気になる。
オレの郷土に何か特筆するような文化があるかと考えると、特に何もない。
これまで何度も書いているように、茨城には何もないからだ。
茨城に限らず、田舎には基本的に何もない。
あるのは無駄に広い道路と、その道路沿いのスーパーやユニクロやハードオフくらいだ。
さすがに昔のように「田舎は東京と違って自然があっていい」などというバカは減ったが、
それは単に現実が知られたというだけで、田舎が新たに何かを得たというわけではない。
オレは、「何もない」ことに親しみ、愛着を持つことなどできない。
そんな人間がいれば、すぐにでも一流の哲学者か宗教家になれるだろう。
オレたちが田舎に対して郷土愛を持つには田舎の発展が必要だ。
当然のことだが、愛すべき何かがなければ、そこを愛することなどできるはずがない。
「地方創生」と言うが、内容がはっきりしない。
高速道路が完全開通して最終的に無料になり、整備新幹線計画が完了すればそれで地方創生だろうか。
だが、それでは、何もないところに道路と新幹線が通っただけで、結局何もないままだ。
そもそも、会社と家を往復するか、家に引きこもってインターネットをするような人間が大半の世の中において、
「郷土」などという存在を定義することに意味があるのだろうか。
それは無駄な消耗ではないかとオレは疑っているところだ。
【今日のまとめ】
許我かるたに立ち返る。
というわけで。
- 2017/03/25(土) 20:40:36|
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