政治と宗教の話はしてはいけないと言う。
宗教は戦争の火種にもなるので、なるほど話さないほうがいい。
よく、普段の世間話においても、創価学会がどうだの、幸福の科学がどうだのと言う人間がいるが、
もしその会話のメンバーの中に創価学会や幸福の科学の会員がいたら面倒なことになるだろう。
それを考えれば、そういう話はしない方がいい。
では、政治の話はどうかというと、
原発とか基地の話はやはりやめた方がいいだろう。
それも各自の考え方や信念の問題で、結局は宗教と似たようなものだからだ。
そもそも、世間話の相手に対して原発や基地について訴えたところで、状況は変わらない。
だが、そういうはっきりとした政治的イシューはともかく、
すべての政治の話がいけないのかというと、どうだろうかと思う。
そもそも、「政治の話」ではない話がそんなにあるだろうか、という気がする。
オレたち国民は主権者なので、オレたちの日々の行動は、それ自体がある意味で政治の一端だ。
オレたちが何を買い、何を着て、何を飲み食いするかもすべて政治の結果なのである。
たとえば、未成年者が酒を飲めないのも政治の結果だし、
大人でも大麻を吸えないのも政治の結果だ。
もし今後戦争が始まり、国民は人前では国民服しか着てはいけないとなったら、服も自由に買えなくなる。
そうなれば、それも政治の結果だ。
つまり、オレたちが普段Twitterに書いているような日常のできごとも、ほとんどが政治の話なのである。
たとえば、北朝鮮で「アニメを見たい」とか「ラーメンを食べたい」と発言すれば、
それは現在それを許していない政治に対する批判になるというのはわかりやすいが、
日本でもそれは現在の政治に対する無意識の肯定であって、結局は政治の話だ。
そしてこの論理は、たいていのことに当てはまる。
そう考えると、「政治の話はしてはいけない」というのは、やはり無理があるとオレは思う。
【今日のまとめ】
この考え自体にも無理がある気もする。というわけで。
- 2017/03/12(日) 22:24:19|
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