それが偶然であることは当然理解しているのだが、
「今日は絶対に電車で寝るぞ」と意を決した日に限って、決まって電車が混んでいて座れない。
オレは立ったままでもなんとか眠ることができるので、そういうときは座れなくても無理矢理寝るのだが、
やはり座って眠るときほど休まらないし、疲れは回復しない。
電車で座って取る睡眠は、学生時代の授業中のそれと同じで、
たった10分でもまるで数時間寝たような体力回復の効果がある。
だから、それができないということは大きな誤算なのだ。
オレは、電車は寝る場所だと思っている。
あるいは、本を読む場所だ。
エッセイストの酒井順子が、著作の中で「電車は、寝て起きると目的地に着いているのがいい」と書いていた記憶があるが、
まさにその通りだとオレも思う。
同じ移動手段でも、自動車で移動しながら寝たり本を読むことはできないが、電車ではそれが可能だ。
その利点を享受しないのは愚かなことだ。
車窓を楽しむというのも、オレは邪道だと思う。
電車はあくまで移動手段であって、車窓から風景を楽しめるというのはあくまで副次的なものだ。
それはずっと見続けているためのものではなく、ふと目を開けてたまたま見るくらいのものであるべきだ。
かつて、「北斗星」で大宮から函館まで行ったことがある。
青函トンネルを出た辺りで寝て、朝になって目が覚め、B寝台ソロの個室から窓を覗くと、八雲駅にいた。
もう八雲まで来たのか、と感慨深い思いになった覚えがある。
その、もうここに来たのか、という感慨は、漫然と景色を見ていては味わえない。
寝台列車であろうがなかろうが、それは同じことだ。
【今日のまとめ】
だがグリーン車だと眠れない。というわけで。
- 2017/02/20(月) 23:07:40|
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