母親が禁煙するらしい。
同じことをこれまでにもう何百回も聞いたような気がするが、
オレは特に母親が禁煙に成功しようがしまいがどちらでもいいので、深く考えないようにしている。
もっとも、家の中で受動喫煙をするリスクが減るのはいいことだ。
オレは別に喫煙者を批判するつもりはないが、単純に煙草の煙や臭いは苦手だ。
母親は16の頃から吸っているらしい。
今回は珍しく丸三日吸っていないが、禁断症状があり、夢の中にまで煙草が出てくるという。
それなら禁煙外来にでも行けばいいのにと思うが、
「禁煙できなかったら行く」という。
はじめから行くのでは駄目なのだろうかと言いたくなるが、突っ込むのも疲れるのでやめておく。
オレは母親に、アレン・カーの「禁煙セラピー」という本を薦めた。
喫煙者の知人が「素晴らしい本だ」と言っていたので、オレは非喫煙者だが、かつて中古で買って読んでみたのだ。
なるほど素晴らしい本だったが、それを薦めた知人は今も喫煙している。
オレがいつも思うのは、やめられないなら「やめる」と言わなければいい、ということだ。
自分との約束を破ることは無駄な消耗であり、かつ、数ある無駄な消耗の中でも消耗の度合いが大きい。
自分を信用できなくなれば、もう誰も信用できないからだ
(よく「自分は信用できなくても他人は信用できる」などと言う人間がいるが、それは欺瞞だし、
そういう人間は他人を信用できていると思い込んでいるにすぎない)。
喫煙は犯罪ではないのだから、やめる義務はない。
喫煙をやめなくても、誰も責めない。
やめるのは自由だしいいことだとは思うが、やめると決めたなら、やめる以外の選択肢はない。
それは、喫煙に依存性があり、意思だけでやめられるものでないとしても変わらないことだ。
【今日のまとめ】
オレも指鳴らしをやめられない。というわけで。
- 2017/02/09(木) 22:36:16|
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