オレが尊敬する人間はそれなりにいる
(というより、オレはオレ以外のほとんどの人間を、程度の差こそあるが尊敬している)が、
オレが先生と呼ぶのは、福澤諭吉と田中正造だけだ
(この前一緒に飲んだ社会の先生を「先生」と呼んでいたじゃないかと言われそうだが、
それは役職としての先生であって、尊敬はしているが、福澤先生や田中先生に対する「先生」とは別物だ)。
オレは塾員なので、福澤諭吉を先生と呼ぶのは当たり前だ。
慶應義塾では先生は福澤諭吉だけなので、教授も塾生も全員「君」付けである
(もっとも、実際にそんな呼び方をしている人間はいないし、教授のことはオレも便宜上先生と呼んではいたが)。
こういうことをダサいとか格好悪いと思う人間もいるのだろうが、
ある程度歳を取ってくると、そういうしきたりに反抗的な人間の方がむしろダサく格好悪い人間に思えてくる。
自分の出身大学という変えられない事実に誇りを持てない人間は情けないし、何よりもったいない。
それは無駄な消耗である。
田中正造を先生と呼ぶのは、オレにとってもっと当たり前だ。
大げさに言えば、田中正造先生がいなければ、オレは生まれていなかったかもしれないからだ。
オレの先祖は谷中村出身だ。
足尾鉱毒事件の末に強制廃村となり、現在は渡良瀬遊水地の一角に遺跡を残すあの谷中村だ。
強制廃村は避けられなかったが、田中正造の運動のおかげで、村民は精神的に(一部経済的にも)救われた。
オレの先祖はどのみち村から出ていただろうが、
人間の行動は心持ち一つで変わる。
田中正造がいなければ、オレの先祖はもっと辺鄙なところで貧相な生活をし、野垂れ死んでいたかもしれない。
そうすれば、オレはこの世に生まれていない。
その意味で、オレは田中正造先生には頭が上がらないのである。
先日、家を片付けていたら、
田中正造先生の運動を支援し、最後まで谷中村に残った島田宗三が、オレの曽祖父と祖父に宛てた直筆の手紙が見付かった。
やはり、谷中村と田中正造先生は、オレのルーツを紐解く上で切り離せない存在なのだ。
【今日のまとめ】
「直訴」と言えば正造先生。というわけで。
- 2017/02/03(金) 20:00:00|
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