昨日、高校時代の社会の先生と飲む機会があった。
先生はオレのクラスを受け持った時は新卒の一年目だったので、まだ32歳と若い。
オレの知り合いでそれよりもっと年齢が上の人も多いが、
やはり「教師と生徒」というポジションはどこか絶対的で、
オレ自身が大人になった今であっても、先生はものすごく大人に見えてしまうのが面白い。
その先生は今は公立中学校の教師をしていて、1年生の担任を受け持っている。
それに関係する話をいくつか聞いたが、その中で印象深かったのが、
「今は女の子の方が男の子より強い」という話だった。
女の方が強いというのは、2が1より大きいのと同じ真理だから、それ自体は当然だ。
女しか出産できない時点で、男ははじめから女に負けている。
だが、先生が言ったのは、当然そういうことではない。
今の中学生の男は、見た目があからさまに弱々しかったり、すぐ泣いたりするというのだ。
それはまずい。
男は、客観的には女より弱いからこそ、表層的には常に強さを取り繕っていなければいけない。
弱さを見せていいのは、女と寝る時だけだ
(だから、好きな男の弱い部分を見たい女は、今すぐにその男と寝ればいい)。
それ以外の時は、男たちは、常に強いふりをして、女に負けている部分をどうにかして補っていなければ生きられない。
ドナルド・トランプはその象徴だ。
それが、見た目が弱々しかったり、すぐ泣いたりしてしまうとなれば、
男たちは、客観的にも表層的にも、すべて女に負けているということになってしまう。
そんな男は生きていくことができない。
女の方が自明に上である時点で、男女平等社会という単語は初めから狂っているが、
これまで命懸けで虚勢を張ってきた男たちを家庭環境や公教育を通じて去勢するのが、この国の男女平等のあり方なのだとすれば、
オレも、いい加減国外に逃げることを検討しないといけないのかもしれない。
【今日のまとめ】
映画「ジュニア」の話はNG。というわけで。
- 2017/01/24(火) 20:28:55|
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