これから法整備が行われ、平成31年の元日に年号が変わるというニュースを目にした。
オレは昨夏の天皇のお気持ちを聞いて泣いたが(ハードディスクに録画したものを保存し、今でもたまに見ている)、
政治に干渉することができない天皇が、実際に自らのお気持ちによって国を動かしたのだから凄いことだと思う。
平成31年というと、あと2年もない。
あっという間なので、次の元号まで自分が生きていることはつい当然だと思ってしまうが、それはまったく当然ではない。
どんな健康な人間でも、いきなり死んでしまうことはある。
それが事故であるか、他人の故意によるものであるか、あるいは病死や自死であるかはわからないが、
若く健康であるからといって、数年先に生きているという保証はまったくない。
オレはそうしたことをこれまでも何度も書いてきたが、
先日、オレの1歳上で、オレも知っている人が亡くなったという話をTwitterで聞き、そのことをあらためて痛感した。
自分がいきなり死んでしまうかもしれないという事実それ自体は、自分の意思ではどうすることもできない。
不注意や不摂生や人間関係の問題などを減らすことで死のリスクを低減させることはできても、それはゼロにはできないからだ。
だが、「自分がいきなり死んでしまうかもしれない」という事実を受け止めることはできるし、
そのことは大いなる力になる。
少なくとも、「自分は何のために生きているのか」などと考えるバカになることだけは避けることができるはずだし、
その結果、これからの時代に自分が淘汰される可能性は一気に低くなるだろう。
【今日のまとめ】
お役所で元号を使う文化は淘汰されてもいい。というわけで。
- 2017/01/10(火) 20:30:42|
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