年の初めに覚醒剤の使用で逮捕されたある歌手が、再び覚醒剤を使用した被疑事実で逮捕されたというニュースを目にした。
オレは、その歌手をもう信用することは二度とないと思った。
彼が悪いだとか、間違っているとか、彼を責めるであるとか、嫌いであるという話ではない。
端的に、もうオレは彼を信用しないというだけだ。
その歌手は、年初の事件で釈放された際、もう覚醒剤の使用は二度としないという旨のコメントを出していた。
家族や近しい人間や関係者やオレを含むファンは、
その言葉を受けて、彼はもう二度と覚醒剤を使わないのだろうという期待を寄せただろうが、
今回の事件により、その期待は裏切られた。
期待を裏切られるということは大きな消耗だ。
期待というものは一方的なもので、強制的に期待しなくてはいけないという性質のものではない。
それでもあえて期待するのは、その人間を信じているからだ。
だから、その期待を裏切られれば、再び裏切られるリスクを背負ってまでその人間にまた期待するのは到底無理なことで、
それは無駄な消耗にほかならないから、もう期待することはない。
もう期待しないということは、その人間をもう信用しないということだ。
何かをする、あるいはしないということを周囲に表明すれば、否が応でも周囲はそれに期待する
(オレは基本的に他人に期待はしないが、それは程度の話であり、オレにも期待そのものは存在する)。
そして、その期待が裏切られれば、上に書いた通り、周囲はもうその人間を信用しない。
信用しても無駄であり、それどころかダメージを負うことさえあるからだ。
期待を裏切ることに無意識に慣れている人間は、おそらくそのことに気付かないまま、
何かを表明してはそれをすぐに翻し、周囲の期待を裏切ることを繰り返すのだろう。
今回の件で言えば、その歌手は、覚醒剤を使用したことそのものではなく、
「もう使用しない」と言ったにもかかわらず再び使用したことで何よりも周囲の期待を裏切ったのだが、
おそらく彼はそれに気付いていない。
そして、その結果、彼を信用する人間はいなくなった。
繰り返すが、オレはそうした人間を悪いと思っているだとか、嫌いだというのではない。
単に、信用しないというだけだ。
そうした人間と深い付き合いを続けることはそれ自体リスクが高いから、信用することはできない。
それはオレの選択の結果であり、その選択が正しいかどうかはわからないが、
少なくともオレは、無駄な消耗はしたくない。
【今日のまとめ】
できないのなら、初めから言わなければいい。というわけで。
- 2016/12/02(金) 11:01:07|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0