高齢者の運転による事故が多発している
(もしかすると報道のトリックで多発しているように見えるだけかもしれないが、
少なくとも、それなりのペースで起きていることは事実だろう)件に関し、
高齢者の運転免許を、一定の年齢もしくは一定の条件で返上させるべきだという意見を目にする。
オレは概ねそれに賛成なのだが、
こうした意見に対し、「田舎では車がなければ生活ができないのだから、返上など馬鹿げている」という批判があるらしい。
その批判は一見もっともであるように思える。
少し歩いたり自転車に乗ればスーパーやコンビニで買い物ができたり、
バスが数十分置きに運行しているような都会や中規模の街と異なり、
地方、それも郊外においては、車がなければ満足に買い物もできないし、病院にも行けないというのは事実だ。
そうした地域の高齢者から運転免許を奪うことは、彼らの生活を不安に陥れることになりうる。
だが、これはリスクの天秤の問題である。
世の中、何かを取れば何かが失われるか不完全になる。
すべてを満足させるということは、たとえ原理的には可能であったとしても困難だ。
オレたちは、常に何かを犠牲にしつつ、最も優先して守られるべきもののを選択しなければ生きられない。
いま天秤に掛けられているのは、上述した「高齢者の生活が不安に陥るリスク」と、
「無辜の人間(とりわけ若者)が高齢者の運転で事故死傷するリスク」であるが、
この2つを比べれば、後者が優先して守られるべきなのは明らかだ。
高齢者の生活は、たとえ運転免許を返上させたとしても、行政サービスや社会福祉による援助が可能
(それが難しいのだということは承知しているが、物理的に可能なのもまた事実だろう)だが、
当然ながら、事故死した人間はもはや救えない。
高齢者の老後を若者が否応にも支えなければならない現代にあっては、
たとえ高齢者の生活が多少不安定になろうとも、若者の生命・身体の安全は守られなければならない。
免許返上と言う人間は老人の生活を考えていない、という意見は一面では正しいが、
物事には優先順位があるということ、またリスクの天秤があるということを無視したものだ。
【今日のまとめ】
市内の循環バス、まだ乗ったことがない。というわけで。
- 2016/12/01(木) 16:22:57|
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