地方から都内に観光に来る人は、よく「東京に行く」と言う。
だが、その「東京」という括りがあまりにも大雑把すぎていつも勝手ながら心配になる。
新宿や渋谷だって東京だし、立川や八王子だって東京だが、距離も大きく離れたまったく別の場所だ。
もしその人が八王子に行きたいのに、東京駅に向かうだけですぐに行けると思っていたら難儀である。
関東近郊に住んでいる人は、渋谷に行く時にまず間違いなく「東京に行く」とは言わないが、
それはやはり土地勘というものなのだろう。
勘違いしないでほしいが、オレは地方から観光や仕事で上京し、「東京に行く」と言っている人を馬鹿にしているのではない。
オレのような関東の人間が他の地域に行く場合も、彼らと同様だからだ。
たとえば、新潟に行く際、「新潟に行く」としかオレは言わないし、また考えないが、
新潟駅周辺に行くのと、三条や長岡や魚沼に行くのではまったく違うし、
電車ですぐに移動できるわけでもない。
そんなことはよく考えればすぐに分かるのだが、新潟に土地勘のないオレなどは、
つい「同じ新潟だからすぐに行けるだろう」などと考えてしまうのだ。
これは京都に行った際に京都や淀、宇治などにすぐに行けると考えてしまうのも同じだ。
広島と呉もそうで、実際にそうだった。
「京都に行く」「広島に行く」としか考えていなかったのだ。
そう考えると、都道府県という自治体の区切りも、必ずしも便利なものではない気がしてくる。
システム上仕方ないとはいえ、「同じ県だから」という理由で不便を強いられることは多いのだ。
実際、オレの住んでいる古河市はほとんど埼玉県や栃木県にあるのだが、
たとえば運転免許を取るにしても、免許センターが水戸にしかないため、わざわざ2時間をかけて行かねばならない。
地方自治は憲法上の要請でもあるからこれを撤廃し、たとえば「日本全国どこの役所に行ってもいい」などとすることは困難だが、
もう少し何かいい方法はないのかと思ってしまうところではある。
もし、都道府県というものがなければ、
「同じ東京だから近い」「同じ新潟だから近い」などと考えてしまうことはないのだ。
【今日のまとめ】
別に都道府県廃止論者ではない。というわけで。
- 2016/11/19(土) 20:00:00|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0