核保有や核兵器の話題になると、よく「広島や長崎を忘れたのか」と言う人が出てくる。
あれだけの悲劇を生みながらもまだ核を持とうとしているのか、というニュアンスでそう言うのだろう。
だが、それは逆だ。
それが良いことか否かはさておいて、
実際には、広島や長崎の悲劇を忘れていないからこそ、各国は核を保有する。
もし我が国に強硬な態度を取ったり、反発したりすれば、あの広島や長崎のような悲劇がまた起きてしまうぞ、それでいいのか、
という脅しの材料として保有するのだ。
それがいわゆる抑止力というものだが、
繰り返すように、その抑止力は、広島や長崎の悲劇を繰り返してはならないという認識の共有が前提になっている。
もし、人々や特定の国が広島や長崎の悲劇を完全に忘れていたり、知らなかったりすれば、
核という強い兵器があるのだから使ってしまおうとか、あるいは逆に、別に大した被害はないだろうなどと考えて核を使ってしまうだろうから、何の抑止力にもならない。
そうであれば、使った側にも傷を残す核など何の意味もなくなってしまう。
抑止力として核を持つことそれ自体への異議があることはもちろんオレも理解しているが、
核を持つことは広島や長崎の悲劇を忘れているという主張は明らかな誤りであるということは、もう一度確認しておきたい。
【今日のまとめ】
もんじゅ君とは何だったのか。というわけで。
- 2016/11/02(水) 16:47:19|
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