オレはかねてからこのブログで「所有感」について触れてきていて、
先日は、サブスクリプション制サービスの普及により、購入したデータに所有感を覚えるようになったということを書いた。
そして今回、そこからさらに進み、
要するに、オレにとっての所有感とは、
「もう追加で金を払うことなく、いつでも好きな時にそのコンテンツに触れることができる感覚」であり、
そこにそれがデータであるか有体物であるかは関係してこないということに気がついたのだった。
購入したデータは、サブスクリプション制における月額の支払いを止めればもう利用できないそれと異なり、
一度ダウンロードした以上はいつでも触れることができる。
オレがデータにも所有感を感じるのは、当然のことだったのだ。
データは消えてしまえばもう触れられないという主張もあるのだろうが、
実のところ、消えてしまえばもう触れられないのは有体物でも同じだ。
紙の本であろうとCDであろうと、それを無くしたり、盗まれたり、壊してしまえばもう触れられない。
オレはデータや物のどちらか一方に固執するということは特になく、
漫画を紙で買うこともあればKindleで買うこともあるし、
CDを買うこともあればiTunesでダウンロードもする。
そこに「こういう場合はダウンロードする」というような明確な線引きもない。
オレにとってはどちらにも所有感があるから、線を引く必要が特にないのだ。
先に「オレにとって」と書いたが、
人によって所有感の内容は異なると思われるので、これはあくまでオレの答えにすぎない。
だが、オレはこれに気付いたことで今まで以上に楽になり、無駄な消耗の機会がさらに減ったのだった。
【今日のまとめ】
スペースの問題などほとんど関係がなかった。というわけで。
- 2016/10/28(金) 20:00:00|
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