ある高校の運動部の生徒が、仲間を檻に閉じ込める様子を撮影した動画が投稿されたというニュースを見た。
オレもその動画を少し見たが、ニュースで言われている通り、それは遊びではなく明らかにいじめであるように見える。
こうしたいじめ動画は各所でたびたび投稿され問題になるが、
オレがいじめ動画について怖いと感じるのは、
おそらく投稿者がそのいじめをいじめとして、少なくとも悪い行為としては、認識していないという点だ。
もし、自分たちの行為が悪いことだと認識していれば、それをインターネットで発信するという行為はしないのが普通だろう。
極端な例だが、たとえば殺人や強盗の様子を自ら撮影し、動画サイトで配信する人間は、
それ自体に快感を覚えるような異常者でない限り、まずいない。
それらは悪であり、隠されるべき行為だからだ。
いじめも同じで、親や教師に「自分はあの生徒をいじめています」と宣言する生徒はいない。
そうなると、動画に撮影して公開するということは、
撮影した人間が異常者でない限り、自分たちの行為をいじめとして認識していないということになる。
よく、いじめをする人間に対して「それはいじめではなく暴行や傷害という犯罪だ」と主張する人間がいるが、
いじめ動画を投稿する人間は、犯罪になるか否かどころか、
自分の行為がいじめだということにさえ気付いていないので、そうした主張は意味がない。
「万引きは犯罪です」という言説は、自分の行為が万引きでないと思っている人間はさすがにいないであろうから意味を持つのだが、
いくら「いじめは犯罪だ」と言ったところで、自分がいじめをしていると気付いていない人間には何も伝わらない。
この問題をどう解決すべきか、オレはまだ明確な答えに到達していない。
オレは、「いじめは不可避的に生じる構造的問題なので、
その不可避的に生じてしまういじめのレベルを抑えることが、いじめを無くすことよりも重要だ」と考えているが、
自分の行ういじめをいじめだと認識できない人間への対処法はまだわからない。
しかし、それはおそらく、教育において真っ先に考えるべき問題だろう。
【今日のまとめ】
最近はこういう動画さえ高画質だから不気味だ。というわけで。
- 2016/10/26(水) 00:19:39|
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