ここ最近、ネットや口コミで絶賛される内容の邦画が相次いで公開されている。
そうなると当然、SNS等に現れる感想も好意的なものが多くなるわけだが、
その一方で、「自分には合わなかった」「ここが理解できなかった」という意見も散見され、
それが拡散されることもままある。
それは一見普通のことのようではあるが、実はそれは「無駄な消耗」ではないかとふと思う。
各人がある物事に対して十人十色の感想を抱くことはごく自然なことで、
どんな絶賛の嵐の映画でも、それを面白く思わなかったり、理解できないということはとりたてて異常なことではない。
全員が絶賛するコンテンツなどまず存在しないし、作り手もそれを目指してはいない。
だが、否定的な感想を抱くのが普通だとして、
それをわざわざ人前で言うことに何か意味があるだろうか。
勘違いしないで欲しいが、否定的な意見を言ってはいけないということではない。
オレがきになるのは、否定的な意見を言うことで、それを言った当人やそれを聞いた周囲の人々が、何か得をするのだろうかということだ。
それが評論家であるならば、否定的な意見を言うことでメリットはあるかもしれない。
まず金になるし、作り手がその意見を参考にするなどの影響が及ぶこともあり得るからだ。
だが、一般人がそうした意見を表明したとしても、
周囲の人間はそれを気持ち良くは感じないだろうし、発言した本人も、逆張りや毒吐きを好む人間でない限りそれは同じだろう。
繰り返すが、言ってはいけないとか、空気を読めという話ではない。
好きに言ってもいいのだが、言うことで何かプラスになっているのだろうかということだ。
プラスがないのであれば、それはやはり無駄な消耗にほかならない。
思ったことをすべて口に出していては、淘汰が早まるだけだ。
【今日のまとめ】
だがそういうエントリがバズるので不思議だ。というわけで。
- 2016/10/03(月) 23:07:38|
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