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怠惰と汗と現実と

キムラヤスヒロ(鳩)公式ブログ

野次が許される空間

野次や罵声が一種の符丁のように使われ、それが許される空間というのは存在する。
国会や競馬場などがその例だ。

街中で他人に野次を飛ばせば下手をすると警察沙汰になるが、
国会中継での野次によって刑事責任を追求された人など聞いたことがないし、競馬場での野次も同様だ。
野次は基本的に品のない単語で構成されるので、それを聞くと思わず身構えてしまうが、
国会や競馬場での野次は、他人を罵ったり囃し立てるという目的というよりも、
一種の様式美として、「そういうもの」として使われていると考えた方が自然だ。
おそらく、特に深い意味はないのである。
実際、野次を飛ばしている人々の多くは、そうした意識なのではないかと思う。

そうは言っても、過激な内容の野次は他人を不快にさせるし、自分自身が罪悪感を背負うことにもつながる。
たとえば、競馬場で騎手に対して「死ね」という野次を飛ばす人がいる。
馬券を外して思わずそう言いたくなる気持ちは分かるが、
冷静に考えれば、その騎手が死んだところで、外れた馬券は的中には変わらないのである。
得るものがないだけならまだいいが、一度「死ね」という言葉を発してしまうと、否応にもその言葉が含む「死」を意識することになり、精神が摩耗する。
それは損だけをすることであり、まさしく無駄な消耗だ。

他方、「馬鹿野郎」は、いいのではないかとオレは思う。それは単なる感想だからだ。
騎手が馬鹿だから負けたということにし、自分の中で負けを受け入れる。
それは精神を保全することにつながる。
日常でそのような汚い言葉を使うことは許されないし、オレはそうした人間とは付き合わないが、
競馬場という空間でのみそれを使うことはかまわないだろう。
繰り返すが、それは罵倒ではなく、様式美としての符丁だからだ。

【今日のまとめ】
オレは使わないが。


というわけで。
  1. 2016/09/25(日) 22:40:06|
  2. 日記
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