人身事故による運転見合わせに怒った複数の乗客に詰め寄られた車掌が線路に飛び降り負傷した、というニュースを目にした。
この事件につき、ネットでは車掌に同情する論調が強い。
車掌にクレームを付けるという行為は運転再開に何ひとつ寄与しない無駄な消耗でしかなく、
車掌もクレームを付けられたところで勝手な対応はできないのだから、
ひたすら気の毒だとしか言いようがないし、オレも車掌には同情する。
だが、ネットでこの事件が「クレーマーは悪だ」という一般論に消化されようとしているのは少し気になる。
まず、「クレーマー」という呼称自体が既に否定的なニュアンスを持っているのだから、
「クレーマーは悪だ」というのは「悪は悪だ」と言っているにすぎず、あらためて言う意味がない。
今回の事件を待たずとも、そのようなことは当のクレーマーたち以外、誰もが理解していることだ。
また、いくらそんなことを言ったところで、当のクレーマーたちはそれに耳を貸すことはない。
そして、普通の車掌は、いくらクレーマーに詰め寄られたとしても、服を脱ぎ、線路に飛び降りたりはしない
(勘違いしないで欲しいが、これは車掌を責めているのではない。
単に、その車掌が一般的ではない行動を取ったと確認しているだけだ)。
刑法の因果関係論ではないが、クレームに耐えかねた車掌が線路に飛び降りるという流れは明らかに異常なことで、
これを「お前らクレーマーがいつも文句ばかり言うせいでこうなったんだ」と、
まるで社会の悪い流れがそうさせたかのように一般化することは不自然だ。
そもそも、駅員や車掌や運転士はクレーマーの対応を多く任されることが類型的に多いのだから、
そのような車掌というポジションに今回の車掌のような人物を配置した鉄道会社にも何らかの原因はある。
クレーマー対応を多く任されるポジションには、極力ストレス耐性の強い人材を配置すべきだからだ。
いじめられる人間に「責任」はないが「原因」はあるのと同じで、
今回の事件について車掌や鉄道会社は少しも悪くないが、こうなった原因は確かに彼らにある
(もっとも、会社がどこまで把握すべきか、また把握できるかという問題もあるので、
そう簡単に責めることができる話ではない)。
また、鉄道会社が車掌の行動を「不適切な行動」として謝罪したことについて批判する人間がいるが、
鉄道マンが制服を脱ぎ捨て線路に飛び降りる行為が不適切でなければ何なのだろうか。
車掌が取った行為が悪いか否か・同情できるか否かという話と、その行動が適切であったか否かはまったく別の話だ。
オレはこの事件について完全に車掌に同情するし、相手を人とも思わないクレーマーはこれに懲りて反省すべきだと思うが、
線路に飛び降りることがいかに危険かを熟知しているはずの車掌が線路に飛び降りた行為は、
やはり不適切な行動だったと思う。
【今日のまとめ】
大阪弁のクレームは本当に怖そう。というわけで。
- 2016/09/23(金) 20:00:00|
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