昨日、JRの運転士が運転席から線路に放尿したというニュースを目にした。
それに対するSNSの反応で多かったのが、「大衆が電車の遅れを許さないからこうなった」という旨の意見だ。
その意見が言わんとすることは分かるが、オレは本当にそうなのだろうかと思ってしまった。
もし、運転士が「このままでは運転が困難なので、トイレに行かせてくれ」と言った場合、
オレたちはそれを拒絶し、トイレに行かせず運転させるだろうか。
おそらく、怒る乗客もいるだろうが、過半数以上の乗客は、運転士がトイレに行くことに理解を示すだろう。
そもそも、当該ニュースによれば、
運転士が守るべき規則上、運行を一時的に止めて車内のトイレに行くことは認められているようだし、
客も、たとえ実際に目を通していなくとも、
旅客営業規則上、そうした事態での遅れがあることを承知して乗っていることになるから、
運転士がトイレに行くことを阻止する権利はない。
つまり、電車の遅延に対するクレームが多いのは事実だろうが、
正当な事由があれば運転士はトイレに行けるのだし、
今回、運転士が実際にトイレに行こうとしたのに、乗客が拒絶して運転士がトイレに行けなかったという事実もない。
そして、繰り返すが、もし運転士がトイレに行っても、大半の客はそれを咎めなかっただろう。
放尿した運転士は「遅れを出すわけにはいかなかった」とコメントしたそうだが、
それは運転士自身の思想の問題であって、乗客がそれを強制した結果ではない。
今回の事案で、運転士は行こうと思えばトイレに行けたのだ。
行くわけにいかないという気持ちは分かるが、それは大衆が求めたことではない。
具体的に大衆が何かをしたわけではないのに、「大衆がそういう空気を作った」という曖昧な理由で大衆が罪を押し付けられ、
なぜかオレたちが反省しなければいけないような雰囲気が醸成されることは、実に奇妙だ。
そして、そうした意見を述べるのが、運転士やJRでなく、同じ大衆であるはずの一般人であることも奇妙である。
また、それはこの件に限った話ではなく、数多くの事件について似たようなコメントが寄せられるのが常だが、
オレはそれに何の意味があるのかわからない。
【今日のまとめ】
脚を投げ出した事件については謎。というわけで。
- 2016/09/19(月) 00:02:11|
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