オレは、今の世の中を生き抜くには、ある程度の図々しさが不可欠だと思っている。
その図々しさとは、他人に迷惑をかけることを厭わないということだ。
もちろん、常に他人に迷惑をかける人間は、違った意味で世の中を生き抜けないだろう。
オレが言いたいのは、どうしても必要な時には、ある程度他人に迷惑をかけることもやむを得ないということだ。
一般的な理性を持つ人間なら、「他人に迷惑をかけてはいけない」と考えて日々を生きるのが通常だろう。
だが、肉体や精神が崩壊しそうなほど追い込まれている場合にまでそれを貫き通せば、最悪、人生が終わってしまうこともある。
そして、そうなった場合、他人は助けてはくれないし、助けてくれようと思ったところでもう助けられない。
そうなる前に、他人に迷惑をかけてでも自己を保全するべきだ。
迷惑を被った他人は、一時的には不快に感じたり、怒りを表明したりするだろうが、
その迷惑が犯罪や道徳に反するものでない限り、それらは謝罪や時間の経過により回復できる。
簡単にいえば、「後で謝れば済む」のである。
もちろんその回復の度合いはそれまでの関係によって大幅に変化するが、
それは「7つの習慣」における「信頼口座」の概念によって説明ができるだろう。
たとえば、オレは、精神的に疲弊している時、
自分と違う意見の人間のことを全員「頭のおかしい人間」とみなし、相手にしないようにしている。
当然、それは日常的な観点からすれば明らかに間違っている独善的な考え方で、
日常的にそう考えて行動する人間には救いがない。
だが、精神の崩壊を食い止めるために一時的に楽になるための逃げ道としては、それは何ら間違っていない。
自分と違う意見を受け止めるのは、精神が回復してからゆっくりと行えばいいことだ。
疲弊した精神で異なる意見をすべて受け止め、その結果精神が崩壊しても、
周囲は慰めてくれるかもしれないが、もはや助けることはできないのである。
【今日のまとめ】
黙っている方が迷惑になることも多い。
というわけで。
- 2016/09/08(木) 20:00:00|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0