ウィナーズサークル死ぬ=競馬|時事通信先日、ダービー馬ウィナーズサークルが死んだというニュースを聞いた。
この馬がダービーを勝ったのは平成元年の5月28日で、その日はオレが生まれた日である。
ウィナーズサークルがダービーを勝った数時間後に、オレはこの世に生を受けたのだ。
そして、ウィナーズサークルは茨城産馬だった。
美浦の馬はみんな「茨城県民」であるが、ウィナーズサークルはオレと同じ、生粋の茨城っ子だったのだ。
「ダービーを勝つために生まれてきた馬」という表現がある。
それはトキノミノルなど、完璧な成績でダービーまで駒を進め、
その後は出走せずに故障や死亡したり、戦績が振るわずに引退した馬を指すことが多いが、
オレは、このウィナーズサークルこそ、「ダービーを勝つために生まれてきた馬」だと思う。
ダービーまでの2勝は、いずれも中山ダート1800mという、ダービー馬の戦績としては異様なもので、
ダービー後は2戦していずれも馬券外に終わり故障で引退している。
茨城産はもちろんのこと、芦毛という毛色も、歴代83頭のダービー馬で唯一のものだ。
まさに、ダービーを勝ち、その産地や毛色をダービー唯一の記録として刻むために生まれたといえる。
ウィナーズサークルが死んだことで、何となくオレももうすぐ死んでしまうのかというような気がしたのだが、
そもそもウィナーズサークルはオレの生まれた日にダービーを勝っただけで、その日に生まれたわけではない。
オレが勝手に縁を感じているにすぎないのだ。
だが、そんな勝手な縁であっても、他の競走馬の訃報に比べて格段に寂しさを覚えるのもまた事実である。
【今日のまとめ】
平成で最も地味なクラシック世代。というわけで。
- 2016/08/30(火) 18:40:54|
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