「人生に、文学を。」というキャッチコピーが話題になっている。
要するに、本を読みましょう、ということを言いたいのだろうが、
そのコピーとそれに付随する文章がいわゆる「炎上」しているようだ。
その点に関しては検索してもらえれば足りるのでどうでもいいが、
オレが気になったのは、「人生に、文学を。」というコピーのほうだ。
文学は書き手の人生の縮小再生産だ。
当然だが、その人間の考えていないことは書けない。
たとえ自分の主義主張とまったく異なることを書いているとしても、少なくとも考えてはいるから書ける。
人間の考えることは、その人間の人生の反映だから、
結局、文学作品はその人間の人生とイコールかそれ以下でしかあり得ない。
そうすると、「人生に、文学を。」というコピーは、
「人生に、人生(の縮小再生産)を。」と言っているのと同じになってしまうように思える。
そこに違和感があるのだ。
文学作品を発表していない一般的な人間であっても、
作品として作っていないというだけで、文学に昇華させうるだけの人生は持っている。
人生を経験していない人間はいないからだ(当然ながら、その質の良し悪しはある)。
名著を通じてそれを書いた人間の人生を追体験することは言うまでもなく有用なので、
もしかしたらこのコピーはそういうことを言いたいのかもしれないが、そうだとしたら「人生に、文学を。」ではやはり迂遠だろう。
本を多く読むことにメリットが多いのは事実で、それを推奨することに何の異論もないが、
このコピーの炎上は、付随する文章の内容もそうだが、オレが感じた違和感にも起因しているように思える。
【今日のまとめ】
文学館の類は好きだ。というわけで。
- 2016/07/20(水) 21:58:24|
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