最近、ヒップホップが流行しているらしく、いわゆるMCバトルの番組をみんな見ている。
オレも全く興味がないという訳ではないが、
それまで少しも触れたことのない分野なので、文化としての文脈が分からず、おいそれと入っていけない。
だが、そういう文脈が存在するのは何もヒップホップに限った話ではなく、
むしろ、すべての文化や趣味には文脈が存在している。
たとえば、オレが読まないといけない法律書や、趣味の競馬や鉄道の本を読んでいると、
時折我に返り、「なぜオレはこんな意味の分からない文章をスラスラと読めているんだ」と、不思議な気分になることがある。
それは何も専門用語に限った話ではなく、
表面的には一般的な用語や常識だけで語っているように見えても、
実はその分野独特の文脈を獲得していなければ内容をひとつも理解できないということは多い。
法律学はともかくとして、競馬や鉄道に関しては、オレはその文脈を手に入れようと勉強や努力をしたことはないが、
文脈を獲得しているからこそ読んだり話を聞いたりできるのは、まぎれもない事実だ。
そうした文脈はいつの間にか獲得したもので、「わからないから頑張って文脈を獲得しよう」という行動の結果ではない。
だとすれば、オレは何かから法律や競馬や鉄道の文脈を獲得したことになるが、
それはいわゆる「初心者向け」の本や映像によるものではないはずだ。
「初心者向け」と銘打たれた教材は、得てして、文脈を持たない人間でもすんなりと読めるように作られているが、
それは裏を返せば、その教材は文脈の外に置かれていることを意味する。
つまり、その教材は、その趣味や学問のカテゴリにそもそも属していないのだ。
当然、その教材で学んでも、受け手は文脈を何ら獲得できない。
もちろん、文脈を与えてくれる良質な教材も存在する。
しかし、残念ながら、世の「初心者向け」教材の多くはそうではないし、
それどころか、そうした教材が望まれているようにすら思える。
「安い道具で手軽に」などというのがその一例であることは言うまでもない。
敷居を低くすることは結構なことで、それは重要でさえある。
だが、敷居を低くした結果、それが本来の趣味とは別物になってしまったり、
敷居から転げ落ちて単なる別物になってしまえば、それはイントロダクションにはなりえないし、
それを片手に「入門」してきた人間は、文脈を獲得することはできない。
【今日のまとめ】
オタク構文は理解不能。というわけで。
- 2016/06/15(水) 20:36:43|
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