昨日、関西のある繁華街の駅前で車が暴走し、歩行者が数人巻き込まれて重軽傷を負ったというニュースを見た。
数カ月前に似たようなニュースを見たばかりなので、またか、という感想しか浮かばない。
まだ原因がはっきり分かっていないので憶測でものは言えないが、
少なくとも、こうした事故は決して「異常事態」ではないのだろう。
5年前や今回のような震災もそうだし、この繁華街の事故を見ても毎回思うのが、
既に何度も書いてきているが、「人の生き死には運だ」ということだ。
震災やこうした事故で亡くなった人は、ほとんどが運が悪かっただけだ。
彼らは特別気を抜いていたわけでも、日頃の行いが悪かったわけでもない。
偶然そこにいたというだけで死んだのだ。
逆に言えば、オレたちはいま生きているだけでかなり運がいい。
オレたちも、運悪く亡くなった人たちと同じく、周囲に注意を払い、日頃の行いが良かったとしても、
そんなことはお構いなくいきなり死ぬ可能性をはらんでいる。
家の中にいても自家用機が墜落して死ぬ時代、そうした不運から完全に逃れられる場所はこの世に存在しない。
生きていることに感謝、などと言うと仰々しくて宗教臭いし、
生きたくもないのに生きている人間もいるだろうし、それは自由だから、別に感謝しなければいけないともオレは思わない。
だが、生きるのが楽しいかどうかは人それぞれだとしても、
少なくとも生きているのが幸運なのはまぎれもない事実だと言っていい。
【今日のまとめ】
自分がいきなり死んだ時の周囲への伝達方法にはいつも悩む。というわけで。
- 2016/05/04(水) 21:59:32|
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