いま、競技かるたをテーマにしたある映画が人気を博している。
この映画は漫画を原作としていて、その原作漫画も大人気だ。
オレがこの漫画と映画の人気を前にして思うのは、
「一度失敗したら終わり」という社会的風潮はやはり間違いだということだ。
この漫画はそれを証明してくれている。
この漫画の作者は、過去の作品で盗用問題が発覚し、その作品が絶版になるという、
漫画家としては致命的とも言える失敗をしている。
だが、そこから復活し、いま話題になっているこの作品を描くまでに至ったのだ。
いま、漫画の盗用問題がネットで発覚すれば、その作者は徹底的に叩かれる。
自身の手落ちで叩かれること自体はある程度仕方ない部分もあるが、
それは大抵の場合、度を超えた中傷や人格攻撃に至り、作者は精神的に打ちのめされる。
仮に精神的ダメージを受けなくとも、出版社などは自身がネットで叩かれるのを恐れ、
たとえその作者がその後描いた作品がいかに面白くとも、それを掲載することはまずない。
そして、「一度失敗したら終わり」という教訓めいたイメージだけが残され、
しばらくして、また別の標的が同じように攻撃される。
もちろんそれは漫画家の盗用に限らない。
芸能人のスキャンダル、政治家の失言など様々だ。
犯罪によって有罪になり、刑期を終えて罪を償った人物に対してもそうだ。
だが、この漫画の作者はそこから復活した。
この一事をもって、「一度失敗したら終わり」は嘘だと分かる。
復活することは極めて困難だとしても、少なくとも不可能ではないという時点で、終わりでも何でもないからだ。
それでも、「一度失敗したら終わり」という風潮が消え去らないのはなぜか。
それは結局、「自分は失敗していないから、
一度失敗した人に比べて、少なくとも『失敗していない』という点で勝っている」
という優位性を保ちたいという思いの現れにほかならない。
「失敗していない」ということは、「成功している」ことと同義ではない。
失敗していないだけの人は、何もしていないに等しい。
だが、失敗した人を攻撃し、その人間が自分より下だというイメージを植え付ければ、
相対的に自分の方が上位にいるような感覚を味わえる。
何もしていないのに、何かしたような気になるのだ。
それは無意味な足の引っ張り合いで、そこからは何も生まれない。
だが、そのような引っ張り合いが社会的に行われている結果、「一度失敗したら終わり」という風潮が存在している。
「成功する」よりも「失敗しない」方を選ぶことは、それ自体が停滞という大きなリスクを生む。
それは実は非常に大きな消耗なのだが、行動を伴わない分、消耗しているという自覚が少ない。
そうした人間は、これからの数年間で確実に起こる激動の中で、一気に淘汰されるだろう。
【今日のまとめ】
成功する方がむしろ楽だ。というわけで。
- 2016/04/11(月) 21:08:26|
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