先日した買い物の釣り銭の中に、いわゆる「ギザ10」が混じっていた。
昭和26年のものだった。
ギザ10自体はそこまで珍しいものではないし、特に希少価値があるということもない
(もっとも、昭和26年の10円玉はギザ10の中では最も製造枚数が少ないのだが。それでもレア物とまではいえない)。
だが、65年も前に造られた硬貨が今も10円として流通していて、それが転々と流通してオレの手に渡ってきたというのは、
何を今更と言われそうだが、あらためて考えるとすごい話だ。
昭和26年といえば、トキノミノルがダービーを勝った年である。
その時からこの10円玉は生き続けているのだ。
製造過程を経て、銀行かどこかを通じてこの10円玉の流通が始まって、最初に手にした人はどんな人だったのだろう。
その時よほど若かったのでなければ、きっとその人はもうこの世にはいないはずだ。
当時の正確な貨幣価値は知らないが、きっとこの10円でもり蕎麦一枚くらいは食べることができたと思う。
一時は銀行やタンスに預けられて眠った時期もあったかもしれない。
それがまた誰かの手に渡り、また眠ったりを繰り返し、
最初の持ち主に渡ってから約65年の時を経て、今はオレが持っている。
日本の硬貨は丈夫だから、貨幣価値が大幅に変わりでもしない限り、
オレがこの10円を使えば、また今後数十年間は誰かの手を渡り続けるだろう。
それだけで一曲作れそうな、どうでもいいがそれでいて壮大なドラマがそこにある。
【今日のまとめ】
金銭もフィジカルの方があたたかみがある。というわけで。
- 2016/04/05(火) 20:51:59|
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