あるゴシップ週刊誌の記者が「少年A」を取材しようとしたところ、
激昂した彼に追い掛け回されたという話をネット上で目にした。
週刊誌のページを転載した画像によると、
当該記事では、その際の「少年A」の行動と剣幕の凄まじさが詳細に語られている。
要するに、この記事は、過去の犯罪者は今でも怖いとか、
そのような人間にプライバシーは存在しないということを言いたいのだろう。
だが、「少年A」は少年院を出て適当な更生プログラムを終えた人物であり、今は単なる一般人だ。
単なる一般人に週刊誌の記者が不躾に取材を行おうとすれば、
その一般人が記者に激昂しても、何もおかしなことではない。
「少年A」が記者に対して取った行為は標準的な人間のそれではないが、
それは犯罪に達しているレベルのものではないし、
これまでに明らかになってきた彼の性向からすれば、彼のそうした行動は記者にも充分予測可能なものだっただろう。
「たとえ罪を償ったとはいえ、犯罪者は永遠に犯罪者だ。近くにいるのは怖い」という類の考えを抱く大衆は多い。
それは、刑罰その他の更生プログラムの有する意義が充分に社会に周知されていないからだ。
国民主権における司法が下した「この人間は更生できる(だから死刑や無期刑にはしない)」という判断は、
抽象的なレベルにおいては、オレたち自身が被告人に下した判断でもある。
だから、自分たちの選択として、オレたちは被告人が再び一般人として社会に復帰することを受け入れるほかないのだが、
そのことに心理的抵抗を抱く人間が減ることはいまだない。
百歩譲って、一般大衆がそのような感情を抱いてしまうことはまだ理解できる。
だが、仮にもメディアである週刊誌がその感情を支持し、また煽るような記事を書き、
そしてそんな週刊誌が売れているようでは、
この国が司法的に成熟することはないと言っていい。
【今日のまとめ】
少年Bは韻シスト。というわけで。
- 2016/02/18(木) 22:22:39|
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