九州で起きた強姦事件で、被告人が逆転無罪となり、検察が上告を断念したというニュースを見た。
被告人だった男性は晴れて解放され、当然ながら前科もなく社会に戻ることができる。
だが、文字通り彼には何の罪もないにもかかわらず、彼が払わされる代償は大きい。
証拠がなく無罪となった人間に対して、
「証拠がないだけで本当はやったのだろう」という疑問を投げかける人間が、世の中には少なくない。
DNA鑑定を証拠とした犯人性の認定に一石を投じた過去の著名なある事件でも、
被告人とされた男性に対してそうした疑念を抱く人は少なくなかったし、オレの周囲にも存在した。
あたりまえのことだが、証拠がないのだから、「やったのだろう」と考えること自体にそもそも何の根拠もない。
「証拠がないだけでやったのだろう」という理屈が通るなら、オレやあなたも含め、日本にいる全員が被疑者となりえてしまう。
確かに無実と無罪は違うが、それは被告人が真犯人であることとはまったくの無関係だ。
そう考えれば、「証拠がないだけで本当はやったのだろう」という考え方は明らかにおかしいのだが、
被告人だった人間は、「一度被疑者として捕まり、起訴された」というその事実だけをもって「怪しい」というバイアスをかけられ、
無罪放免となった後も、そのように疑いの目を向けられることになる。
もちろん、無罪であった以上、逮捕される以前と同様にその元被告人に接する人間も多い。
本来ならそれが当たり前だ。
だが、「そうでない人もいる」という理由一つで、
たとえ雇い主がその元被告人を疑っていなくても、「客商売だから」と言われ、雇ってもらえないという事態が生じることになる。
そんな会社こちらからお断りだ、と思えればいいが、事実として選択肢は狭まる。
少なくとも、元被告人が、逮捕・起訴されなければ送ることができたであろう人生を取り戻すことは難しい。
それは、刑事補償で補える程度のものでは決してない。
民間レベルでは、無罪となった人間を支援する団体は存在する。
だが、本来国家が担うべきそうした役割を果たす公的機関は、オレの理解が間違っていなければ存在しない。
「無罪であった以上、その人を疑う人がいるはずがない」という建前で判決がなされているし、
刑事補償で損失は填補されたということになるからだ。
もちろんそれは、先に書いた通り、明らかに実体と合致していない。
捜査官や裁判官も人間である以上、
誤認逮捕や起訴、そして誤った証拠を認定した有罪判決がなされるというミスは残念ながら皆無にはできない。
ならば、その後のケアを公的機関によって行う以外にないのだが、それがなされる気配はない。
その結果、誤認逮捕という悲劇は、単なる貧乏くじとして扱われることになる。
【今日のまとめ】
支援したらしたで「捕まり得」などと言う人間が現れる。というわけで。
- 2016/01/26(火) 20:54:04|
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