SNSを見ていると、誰々が嫌いだとか、何々が苛つく、などと言った書き込みを頻繁に投稿している人間に出会う。
それらの書き込みを素直に解釈すれば、
彼らの周囲には、自分の嫌いな人間が多く、また苛立つ物事が多いということになる。
そうした状況は明らかに異常だが、彼らはそのことに気付いていない。
普通、嫌いな人間というのはそう周囲に存在しないし、何かに苛立つということもそう多くはない。
そうした状況を回復させる方法は主に二つある。
一つは、自らが主体的になり、嫌いだ、苛立つという感情をできるだけ生じなくさせることだ。
もっとも、これは「
7つの習慣」を読めばすぐに分かることで、
このブログを読んでいる人は「7つの習慣」を既に読んでいるから、詳細は書くまでもない。
もう一つは、嫌いな人間や物事を積極的に遠ざける努力をすることだ。
この努力をできていない人間が、冒頭のような書き込みをする。
不思議なことに、この努力を継続していると、学校や職場、地域コミュニティのような、
本来は自分でグループ内の相手を選択することが難しいはずの場所においても、嫌いな人間や苛立つ物事は少なくなる。
きっと、この努力は、主体的になる努力と表裏一体ということなのだろう。
それが日本においてだけのことなのかはオレには分からないが、
この社会は、「嫌いなものを避ける」ということを、どこかマイナスに捉える。
好き嫌いをしてはいけない、みんなと仲良くしなさい、という幼少期の教育の延長線上に、
そのまま大人の社会生活が存在しているというイメージだ。
しかし、そのような価値観を義務教育を越えてもなお持ち続けることは、無駄な消耗に繋がる。
義務教育と違い、社会生活は、嫌いなものを我慢しつつ生き抜けるほど楽なものではない。
「嫌いなものを避けて生きると視野が狭くなる」という反論がある。
だが、嫌いなものを避けずに生きることは、常に嫌いなものを意識して生きるということだ。
それは不要な消耗を自らに課すことにほかならない。
それが将来的にどのような結果を招くかは、もはや言うまでもないが、
それでもなお、嫌いなものを避けてはいけないと思い込んでいる人間は多く、そうした人間は早晩淘汰される。
【今日のまとめ】
30分掛けてしまった。
というわけで。
- 2015/12/16(水) 20:32:06|
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