正論と事実は違う。
それは当然のことなのだが、それを理解していない、あるいは理解していないふりをしている人は多い。
端的に言えば、正論には反論できるが、事実には反論できない。
しかし、事実に対して反論しようとする人がいる。
それは不可能なことで、無意味だ。
正論というのはあくまで論だ。
同意できるか否かはさておき、別の論が存在し得る。
「明日できることは明日やれ」という論と、「明日できることは今日やってしまえ」という論は、どちらも客観的に間違っているわけではない。
単に、それを聞いた者がどちらを正しいと思うかの話にすぎない。
オレがもし前者を正しいと思ったところで、あなたが後者を正しいと思うことに矛盾も問題もない。
そして、いろいろな論が戦った結果、最も多くの支持者を得た論が生き残るだけの話だ。
他方で、事実は常に正しい。
事実は主観的な要素を含まないから、反論の余地がない。
1プラス1が2であるという事実に対して、「おれの中では1プラス1は5なんだ」と反論することはできない。
一つの事実には複数の捉え方がある、と言う人もいる。
しかし、その「捉え方」は主観的な要素を含んだひとつの正論だから複数存在できるだけで、
そのベースとなる事実は常にひとつだ。
しかし、依然として事実に反論しようとする人は後を絶たない。
中には、反論をしたいがために、事実を無理やり正論であることにしようとする人さえいる。
しかし、それは無意味だ。
いくら反論をしても、1プラス1は5にならない。
それは無駄な消耗につながり、自分が淘汰される順位を早めるだけだ。
オレは、できるだけ正論よりも事実を書くようにしたいと思っている。
正論はそれを述べる人間によってその価値が左右されるが、事実にはそれがないからだ。
しかし、事実と正論の境界が曖昧な分野も多い。
それを切り開くには文章を書く技術が必要で、文体はそのために欠かせないツールだ。
オレが文体を獲得する目的はそこにもある。
【今日のまとめ】
「論」がゲシュタルト崩壊する。というわけで。
- 2015/12/11(金) 20:59:48|
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