オレはあとがきのない本が好きだ。
あとがきのある本が嫌いだ、とまではいかないが、あとがきのある本とない本を比べた時、
内容が同程度なら、後者のほうが圧倒的に好ましい。
その理由は、「作家ならあとがきでなく本編で語れ」という高尚な考えなどでは決してない。
単に、あとがきが付いていると、どうしてもあとがきを先に読みたくなってしまうのだ。
もっとも、電子書籍の場合はそんなことはない。
おそらく、紙の本は指先で容易にあとがきのページを探し当てることができてしまうから、
「移動」などのキーで「あとがき」をタッチしないとあとがきまで辿りつけない電子書籍と比べ、
あとがきを見たいという欲求が容易に勝ってしまうのだろう。
オレは電子書籍が好きだが、性質上あとがきの付いていることが多い小説などは、
さまざまな事情(古本の安さ、刊行ペース、そもそも電子書籍版が存在しない等)から紙で読むことがいまだに多いので、
この欲求に勝てないのだ。
そして、その結果、たいていは後悔するはめになる。
その後悔の理由だが、オレは「ネタバレ」はまったく気にしないし、むしろ好きなくらいだから、
あとがきに作品の内容が含まれていることなどはまったく気にならいので、その点ではない。
そうではなく、あとがきで作者の素性や素の文体を知ってしまうことで後悔するのだ。
その素性や素の文体が自分の好きなものだった場合はいいが、そうでない場合が辛い。
いくら本編の内容が面白く、好きな文体で書かれていたとしても、
これをあの人が書いているのか、と思ってしまう。
だったら読まなければいいじゃないか、と思うかもしれないが、そう割り切れないのは先に述べた通りだ。
指先で一めくり、時間にしてものの数秒であとがきが読めてしまう状況にあるのに、
その欲求を封印して数時間(オレは一気に読まないことも多いから、数週間のことさえある)にわたって本編を読み切ることなどできはしない。
書き手によっては、あとがきから読む人間が多いことを考慮したあとがきを書く場合もあるが、
上記のような問題はあとがきの存在自体から生ずるもので、あとがきがどんな内容かは関係ない。
あとがきのない本は、オレをそうしたどうでもいい悩みから解放してくれる。
小説でも、単行本の段階ではあとがきがないことが多いのに、文庫になった途端あとがきが書かれることが多い。
きっとそうした慣習なのだろうが、なぜわざわざ追加するのかと不思議に思う。
ちなみに、最近読んだ村上龍の「音楽の海岸」という本は、文庫でありながらあとがきがなかった。
その理由がなぜかは分からないが(他の彼の作品にはあとがきがあることが多い)、好ましかった。
オレにはやはり電子書籍が向いているのかもしれない。
【今日のまとめ】
だから全部Kindleで売ってくれ。というわけで。
- 2015/11/16(月) 21:55:11|
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