オレは、25歳までに何らかの成功を果たせなかった人間は凡人だと思っている。
言うまでもなく、今年26歳になったがこれまでに成功していないオレもその凡人の一人だ。
勘違いしないで欲しいが、オレは別に「自分に才能がない」と卑下したり、ふてくされている訳ではない。
オレは単に、自分が凡人であるという客観的事実を自覚し、それを受け止めたというだけだ。
オレの尊敬する人物の自伝や、インターネットに掲載される経歴を読んでいると
たいていの人は20代前半で何らかの成功をしている。
大学をトップで卒業したり、司法試験に一発で合格したり、
あるいは小説が大きな賞を獲得したり、リリースした楽曲が大勢に聴かれたりしている。
20代前半で結婚し、安定した収入もあり、立派な家庭を築いている人もいる。
彼らが「天才」であるかどうかは分からないし、その当否を考えるつもりもないが
少なくとも非凡であることは確かだろう。
彼らは、多くの人には真似のできない結果を出しているからだ。
他方、オレは26歳だが、司法試験に二度落ち、仕事もなく、結婚もしていない。
本や音楽を出してそれが売れたという経験もない。
25歳までは諦めきれず、「オレは凡人ではないかもしれない」と考えながら行動していたが
結果が出なかった以上、オレは凡人であると認めるほかなくなった。
オレの周囲の人間で、オレを非凡だと思っている人間はいないだろうし、
いるとすればそれは買いかぶりだ。
だが、繰り返すように、それは自分を卑下しているわけでも、ふてくされているわけでもない。
これは単に、「自分には非凡なやり方は無理だ」と観念し、愚直にやっていく覚悟を決めるためのけじめだ。
オレはあくまで「25歳までに成功を果たせなかった人間は凡人だ」と言っているだけで
「25歳までに成功していない人間は今後も成功できない」とは言っていない。
実際に、それより上の年齢で初めて成功したという人間は山ほど存在する。
ただ、成功するために必要なハードルは、若くして成功した非凡な人たちのそれに比べて遥かに高くなる。
才能の差ももちろんだが、年齢による肉体や脳の衰えもある。
20代前半の若者のようにきびきびと行動し、柔軟な発想をすることは年々難しくなっていく。
また、若者に対するそれと異なり、
いわゆる「アラサー」になって何も成し遂げていない人間に対する周囲の目は厳しく、支援も受けにくい。
それらをクリアした上で初めてスタートに立てる。
しかも、それは単にスタートに立っただけにすぎず、成功するにはそこから途方もない運と能力と努力が要求される。
それを自覚し、受け止める覚悟をしなければ成功できない。
もちろん、自覚し受け止めたところで成功できる保証もない。
だが、少なくとも自覚し受け止めなければ絶対に成功はできない。
それができない人間は、ただ落ちこぼれていくだけだ。
【今日のまとめ】
Everyman, everywhere.というわけで。
- 2015/10/21(水) 20:25:32|
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