オレは基本的に毎日このブログに何かしらの文章を書いているが
数年間に渡って毎日書き続けていれば、当然その質にもばらつきが生じる。
「特に何も書くことがない」という状況下で、何かしらの文章を書かなければならないからだ。
苦し紛れに突如として本や音楽のレビューを書いたり、競馬の話をし始めたり、
あるいは最近食べたラーメンのことを書いたりする。
そんな時は、書くことがない時だ。
もちろん、それらの文章が結果的に面白いということもそれなりにあるのだが
基本的に書くことがないのだから、たいていはたかが知れている。
オレのブログはおそらく固定の少数の読者が読んでいることが多いから
こんなことをいちいち書かずともみんな分かっているとは思う。
逆に、自分でも「面白い」と思えるような文章を書ける時がある。
そういう文章はたいてい、書かされた文章だ。
書かされたと言っても、誰かに依頼されて書いたというわけではない。
臭い言い方かもしれないが、脳に命令されて書かされるのである。
曲を作る時と一緒で、頭がそのことで一杯になり、それをアウトプットするまで気持ちが解放されないのだ。
オレは曲を作る時、タイトルが先に浮かぶことが多い。
タイトルから色々なイメージが連想されてきて、たいていは歌詞とメロディが同時に浮かんでくる。
しばらくはその曲を頭の片隅に放っておくのだが、
時に、その曲が脳内を埋め尽くし、「早く形にしろ、形にしろ」と急かす。
一度そうなると、音源の形でアウトプットしないかぎり、脳内をその一曲が埋め尽くす苦しみから解放されない。
それは正式な音源であることもあれば、未公開のデモ音源であることもあり、様々だ。
オレが3年前に出し、ダウンロードの手売りで100枚ほど売れた「愛って暗いね、ナハトムジーク。」というミニアルバムがあるが
その収録曲のすべてが、そうした形で生み出されたものだ。
頭の片隅でほとんど完成されて鳴っている曲が3年ほど前から4曲ほどあり
それらの曲が急かしてくれば「愛って暗いね、ナハトムジーク。」のようにパッケージにしようと考えているが
幸か不幸か、まだその段階には至っていない。
タイトルも歌詞もほとんど決まっているのだが、音源にならないので、まだ誰にも聴かせていない。
それと同じことがブログの文章でも起こる。
オレはメールマガジンもやっていて、そちらでもある程度の長さの文章を書いているが
メールマガジンに関してはライフログ的な側面が強いので、あまり「書かされる」ことはない。
実際にあった出来事をいくつかピックアップして、それを記憶のままに書き起こすことがほとんどだからだ。
だが、ブログの場合、そうした日記的な文章を書くだけではないから、「書かされる」ことになりやすい。
たとえば昨日の「ネタバレが嫌なら死んでしまえばいい」という文章もそうだ。
数日前に、「ネタバレが嫌なら死んでしまえばいい」というタイトルがまず頭に浮かんだ。
それをスマートフォンにメモしておいたのだが、昨日になって「形にしろ」と急かされた。
PCに向かうと、ほとんど自動筆記のように手が動き、推敲や校正もほとんどなく文章が完成した。
完璧なものだとはまったく思わないが、それなりに自分の好きな文章が書けた。
書かされたとは言っても、その書かせる命令を下しているオレの脳は、当然ながらオレそのものだ。
自分の脳に対して「こいつは何を考えているんだろう」と思うこともあるが、
その思い自体を司っているのは他でもないオレの脳で、それは循環論だ。
オレはそういう哲学じみた考え方は嫌いだ。
ただ書かされるから書いているだけなのだ。
【今日のまとめ】
雇い主が脳だから賃金が発生しない。というわけで。
- 2015/10/19(月) 22:27:29|
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