新入閣したある大臣が、過去に下着泥棒をしていたというニュースを目にした。
それが事実がどうかはまだ分からないし、今後も分からないかもしれない。
しかし、それはオレにとってどうでもいいことだ。
もしそのニュースの内容が事実だとして、
その大臣が今も下着泥棒を現役で続けているというのなら問題だが、
今やっていないのであれば、それは大臣の現在の仕事と何も関係がない。
しかし、このニュースに対するメディアの書きぶりやSNSでの大衆の反応を見ていると、
どうも、これを「どうでもいいこと」だとは考えていない人がそれなりに多いようだ。
それも、漢字の読み間違えで辞任を迫るような、野党とそのシンパによる揚げ足取りの一環ではなく
「犯罪者が大臣をやっていいはずがない」という類の批判が散見される。
そうした反応を見ていて、
「一度悪いことをした人間は、もう社会で活躍してはいけない」というこの社会特有の圧力がまた表面化したな、とオレは思った。
「特有」と書いたが、これが日本だけのものかどうかは分からないから
「外国と違って日本はこれだから駄目だ」というつまらない話に落としこむつもりはない。
だが、これは日本特有のもの、あるいは特有のものでないとしても、他の国に比べて
その圧力の強度がはるかに高いものだとオレは思っている。
いわゆる「少年A」をめぐる騒動もそうだったが
この国では、一度犯罪や悪事を犯した人間は、たとえ贖罪を果たし、正規の更生プログラムを経た後であっても、
再び社会に復帰して活躍することを許されないという風潮がある。
罪を償った後も人生は続くのだから、自殺が悪である以上、その人間は生きて生活を続けなければいけないのだが
その生活が表立ったものになることは許されない。
たとえ被害者本人や遺族が許した場合でさえも、直接の利害関係のない第三者がそれを許さず
メディアやSNS上でプライバシーを侵害され続ける。
オレはそれが不思議でならない。
だが、想像するに、きっとそれは、
「自分はこんなにまじめにやって生きてきたのに、犯罪をした人間が、そのまじめな自分と同じ場所に戻ってくることが許せない」ということなのだろう。
そういう人間の中では、「自分が犯罪をせずにまじめに生きてきた」ということが自身の重要かつ唯一の支えなのだ。
だから、犯罪をした人間が自分と同じ場所に復帰すると、その支えが無意味であったように感じる。
自分がそこにいることが、「自分が犯罪をせずにまじめに生きていた」こととは全く関係なかったことが判明してしまうからだ。
それで、許せないという感情を抱くのだろう。
勘違いしないで欲しいが、オレは別に、そうした考え方が間違いだと言っているわけではない。
ただそれは虚しいし、何より更生という社会システムが用意されている現状についてその人間があまりに無知だと感じるだけだ。
第三次安倍内閣は、「一億総活躍」というスローガンを打ち出した。
このスローガンはオレにとってどうでもいいことだし、オレの考えとは明確に異なる(その考えは、機会があればここかメールマガジンにでも書こうと思っている)。
ただ、少なくとも、「一度悪いことをした人間は、もう社会で活躍してはいけない」という価値観を持っている人間は
内閣が標榜するこのスローガンにそぐわないと言えるだろう。
【今日のまとめ】
まあ、気持ち悪いとは思う。
というわけで。
- 2015/10/16(金) 20:00:46|
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