■まず、使用中止という結果自体は、残念だが仕方ないと思う。
個人的にはエンブレムそれ自体は模倣ではないと思っているし、ドビ氏から提起されている訴訟も、結果的には勝つだろう。
しかし、使用差し止めを求める訴訟である以上
仮処分(訴訟終結までエンブレムが使用できなくなる等)が下される可能性は一応存在する。
当初はそのリスクはきわめて低いと思われたが、
その後、例の「BEACH」ロゴや展開例の空港の画像など、
明らかに流用であるその他の佐野氏の作品やプレゼン用写真が出現した。
それらが間接証拠となると、(依然として低いとはいえ)仮の差止めが認められる可能性は高まる。
主催者側としては、エンブレムを使用したグッズをまもなく展開していく以上
下手をすれば数年間エンブレムが使用できなくなるということは、マーケティングとしてありえない。
そうだとすれば、使用中止は妥当な選択だったといえる。
とはいえ、仮処分の認められる可能性は低い以上
「それ(BEACHなどの件)はそれ、これ(エンブレム)はこれ」と割り切って、エンブレムの使用を断固継続するというのも
ひとつの選択肢としてありえただろう。
しかし、結果的にそれを取らなかったのは
たとえば政治家や裁判官に求められるような高潔さ、清廉潔白さ(現実の彼らにそれが備わっているかは別問題だが)が
オリンピックという聖典のシンボルをデザインする者にも求められるということを
主催者側自らが認めたことにほかならないと思われる。
その意味では、佐野氏は運が悪かったというほかない。
これが他の催しのエンブレムであれば、このような事態にはならなかっただろう。
■なお、「"BEACH"ロゴ流用程度のことは、デザイナーならみんなやっている」という旨の意見も聞いた。
なるほど、それが業界の常識なのかもしれない。
しかし、「似ている」ケースと違い、そのまま流用しているケースは、
複製権や同一性保持権侵害そのもので、明らかに著作権法違反である。
いま話題になっているTPPの知財条項の承認によって、著作権法における非親告罪化の改正が行われれば
それらの「常識」的な行為をしている人は全員捕まる。
心当たりのあるデザイナー諸氏は、コミケの事を案ずる前に、まず己の身を案ずるべきだろう。
■この件で個人的に興味深かったのは、この件が一見、近時よくある「ネットを発端とした炎上案件」に見えて
実はそうではなく、デザインの類似を指摘したのは
他でもないリエージュ劇場のロゴをデザインしたデビ氏自身だったという点だ
(もちろん、氏の点けた火に燃料を投下し、勢い良く燃え上がらせたのが
ネットの住民であることに間違いはないが)。
きっと、デビ氏がリエージュ劇場のロゴを指摘しなければ、我々がこのエンブレムを「パクり」と呼ぶことはなかったと思われる。
「BEACH」ロゴのデザイナーについても、指摘の発端こそネット民であったが、デザイナー本人が積極的にコメントを寄せた。
いつもの「ネットが勝手に騒いでいるが、当の本人は我関せず」とは様相が異なっている。
何より、展開例の空港の画像に至っては
故意でこそなかったが、ネット民とは「敵対」する立場にあるはずの
大会組織委という身内からそれが投下された。
エンブレム使用中止の決め手となったのはこの画像とも考えられる一面もあり
また、内部資料である以上、組織委がこの画像を出さなければ、ネット民が盗用を指摘する事態も起こりえなかっただろう。
それが身内から投下されるとは、なんとも皮肉だ。
繰り返すように、大きく燃え上がらせるための燃料を投下したのはネット民であることに間違いはない。
しかし、今回はネット民はあくまで外野だった。
ここからも、オリンピックという行事の異質さ、重大さが感じられた。
■今回の事件は、デザイン論、法律論、モラル、部分社会ごとの「常識」の違いなど
様々な、そして場合によっては完全に相反する視点から論じることができるものであり
かつ、そうであるがために、「反論の余地のない一貫した論理」を展開することが極めて難しいものだった。
法律論から論破したかと思えば、その言説がデザイン論の見地から論破される。
このような現象はそう見られない。
その意味で、不謹慎かもしれないが非常に面白く、学びの多い事件だったといえる。
【今日のまとめ】
TOKYO MXで佐野氏見たい。というわけで。
- 2015/09/01(火) 22:26:37|
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