きのう日本語について触れたついでに、最近よく聞く言い回しで気になったものについて触れておく。
「成績を残す」という言い回し。
文脈から察するに、おそらく「
良い成績を残す」という意味で使っているのだろうが
どうにも違和感がある。
きのう書いた理由から、これが「間違った日本語」だとは言いたくはないが
文脈を捨象して単語そのものの意味で考えれば意味が伝わらない
(「成績」という単語それ自体には、「良い」「悪い」という評価の意味は含まれていない)ので
下手をすれば言葉として無意味ということにすらなってしまう。
そんな無意味な日本語を「美しい」とは思えないわけで
結局、「正しい」か否かを度外視したとしても
この言い回しはいただけない。
文脈で言いたいことが分かるんだからいいじゃないか、と言われれば、なるほどいいだろう。
でも、美しくない。
「良い」を付けなくても、たとえば「
これだけの成績を残す」などという形容詞をつければ
何ら違和感はないし、意味も明確に伝わるのだが、
「成績」は出場なり参加なりをすれば、たとえ惨憺たる結果であっても残るものであるから
「成績を残す」と言っただけでは、主観も何もない当然の事実をただ口に出したというだけで終わってしまう。
それは発言者の本意ではないだろう。
僕が趣味としている競馬番組で、解説者が「血統馬」という言い回しをしていることがある。
これも「成績を残す」と同じで、おそらく「良血馬」と言いたいのだろう。
しかし、当然「血統」という単語には「良い」(もしくは「悪い」)という評価の意味は含まれていないから
「血統馬」という言い回しは単に「血統を持つ馬」という以上の意味しか持たない。
馬が生物である以上、たとえ親が不明であろうと、どんな駄馬であろうと
血統それ自体は必ず有している。
競馬に生物の馬とロボットの馬が一緒に出ているというのなら、「1番は血統馬、2番はロボット馬」という区別も有用だろうが
あいにく競馬はブラッドスポーツであって、今のところそんな状況にはない。
これも、もちろん言いたいことは分かるのだが、美しくない。
美しいか否かは当然主観だ。
僕が思う美しいものと、僕以外の人が思う美しいものは違う。
とはいえ、「成績を残す」「血統馬」という言い回しについて、それを使う本人たちに上記のことを説明すれば
きっと彼らはそれを美しいとは思わないのではないかと思うのである。
【今日のまとめ】
汗血馬だったら赤兎馬。というわけで。
- 2014/12/08(月) 22:48:48|
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