▲物理で攻めてくるタイプのエモーショナルさ。今週も京都に行った。
先週に続いて京都アニメーションのイベントがあったからだ。
土曜の夕方に車で出発し、深夜に大津サービスエリアで仮眠して早朝に出町駐車場に駐車した。
6時、土日は朝風呂をやっている「サウナの梅湯」に一番乗りしてサウナと水風呂の往復を楽しんだ。
その後、出町駐車場で再度仮眠した後で京阪電車で三条へ向かい、少し歩いて会場のみやこめっせに入場した。
台風22号によってあいにくの雨だったが、会場は大いに賑わっていて、一部のコーナーは混雑で見ることを諦めるほどだった。
オレが京都アニメーションの作品を好きなのは、作画への強いこだわりを感じるからだ。
もちろん、ストーリーや演出や音楽なども重要だし不可欠だが、アニメーション作品で最も重要なのは作画だとオレは思う。
実写作品と違い、アニメーションでは作画によって初めて登場人物の表情や動作、物の存在、場所などが規定される。
要するに、誰かが絵を書かなければ、そこに人も物も場所も存在し得ないということだ。
俳優の顔や動作が突然不自然になることはないが、アニメーションではそれが普通に起こり得るし、
それが起きるとその不自然さに視聴者の意識が向いてしまい、結果としてストーリーに集中できなくなる。
だから作画こそがアニメーション作品で最も重要なのだが、その作画のレベルを常に高次元に保つことができているアニメーション制作会社は少ない。
それは人手の問題であったり、スケジュールの問題であったり、様々な物理的制約があるからだが、
京都アニメーションの作品では、どういうわけか、他社のそれと異なり、そうした制約の存在を感じさせない。
そこには単なるこだわりや情熱だけではない何かしらの優れたマネジメント術が存在していると考えられるが、その全容は謎に包まれている。
だが、このイベントは、そうしたマネジメント術の存在を確信させるに足りるものだ。
それは、2年前のイベントにもあったスタッフの実演ブースを見ればひと目で分かる。
おそらく、このイベントには他社の関係者も訪れていることだろうが、
このイベントが日本のアニメーション作品全体の作画クオリティが向上される発端となれば、一ファンとしては嬉しい限りだ。
【今日のまとめ】
KAエスマ文庫は相変わらず閉鎖的だが。というわけで。
- 2017/10/31(火) 22:14:23|
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