そう頻繁には使わないかもしれないが、「命の次に大事なもの」という表現がある。
たとえば、いま「宙に浮いた扁平足」というバンドの水野健人に貸しているオレのエレキギター・ストラトキャスターは、
数多くの思い出があり、命の次に大事なものだ。
要するに、とても大事にしているものを「命の次に大事なもの」と言うわけだが、
実は、それは「命より大事なもの」と言ってもいいのではないだろうか。
「命の次に大事」という形容詞は、「命がまず何よりも大事」という共通の認識を前提としている。
自分が死んでしまったら、大事なものがいくら残っていようが意味がない、
だから、どんなに大事でも、それはあくまで「命の次」だということだ。
しかし、本当にそうだろうか。
たとえ自分が死んでしまっても、ものは残り、誰かに使ってもらえる可能性がある。
また、残したものが後世に影響を与え、100年後や200年後の人の人生に役立つかもしれない。
そう考えると、必ずしも「自分が死んでしまったら、大事なものがいくら残っていようが意味がない」とは言えなくなってくる。
命が大事なものであり、無駄にしてはいけないのはその通りだが、
必ずしも「命がまず何よりも大事」ではないかもしれない。
それは命を軽視するという話ではない。
自分本位で考えることをやめれば、もうその時点で「死んだら終わり」ではないというだけだ。
オレがもし死んでしまえば、オレの身体は腐ってしまうか、焼かれて灰になってしまう。
だが、オレのストラトキャスターは、壊れたり盗まれたりしない限り、いつまでも誰かに弾いてもらうことができる。
そうして、誰かに影響を与えることができる。
その意味では、オレにとって、ストラトキャスターは「命より大事なもの」と言ってもいいだろう。
【今日のまとめ】
大事なものだからこそ貸す。というわけで。
- 2016/04/30(土) 17:48:09|
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