最近、Twitterでよく「外野」という単語を使ってる。意味的には野球の外野という感じではなくて、どっちかと言うと観客席に座ってる人間のイメージかも。
「二郎行ってみたいんだよねー。今度連れてってよ」
行きゃいいじゃん。
「ほんとは行きたかったんだけどさー」
来りゃいいじゃん。
俺の「外野」という単語選びが悪かったのか、ただイベントなんかに見に来るだけの人間とか、クリエイティビティのない普通の人間をdisってるみたいに捉えられてしまう事も多いんだけど、そういう事ではなくて。
上に書いたような、やろうと思えば出来るのに、口だけ動かしといて結局それを一切行動に移さない人間。
そんな奴いるのって思うけど、実際に結構いる。
金銭的にキツいとか、遠くに住んでるから来られないとか、そういうのは何もおかしいとは思わない。そうじゃなくて、やらないだけなのにポーズだけ取って距離感を維持しようとする人間に違和感。
東京に住んでれば二郎なんていくらでも行けるし、連れて行って欲しいなら日付を指定して連絡でもくれれば合わせる。でもそれが無い。
イベントだって来ようと思えば来れるでしょ。生中継のUstから「行きたかったなー」謎過ぎる。
別に心の中で「行きたかった」と思うのは自然かも知れないけど、それを口に出したら実際に現場で見てる人達はどう思う?
外野だと思うよ。
こっち見てよー、ってアピってるようにしか見えない。ポーズ取ってるだけにしか。
興味がないからやってない、そういうスタジアムの外の人間を揶揄するつもりはない。彼らには彼らの世界があって、それがたまたま俺の趣味と合致してないだけ。
でも外野は、現場には行ってないけど興味はあるよっていうポーズだけで無駄に気取る。端から見たら全然意味がないんだけど。本当は興味がないんでしょ。
さっきも言ったように金が無いとか、遠いとかそういう問題は実際問題としてある。でも、来ない人全員が本当にその理由で来てないとは思えない。
行きたくなかったり興味がなかったら、友達がオーガナイズしたイベントであっても素直にそういう意思を表示して良い。口に出すのは確かにアレだけど、そういう態度は。そうやって素直に言ってくれる人間の方が、無意味な「行きたかった」だけで勝手に参加した気になってる人間より余程信用できる。
それで不快に思うオーガナイザーは所詮その程度。クオリティ低い商品しか作れないから売れないのに、それを消費者のせいにする企業は潰れる。
興味があれば体は勝手に動く。気付けば現場にいる。そういうもの。
無理してポーズなんか取らずに自分がそう出来る物を何か見付けて、それに熱を入れていく事の方が明らかに大事だと思う。
「行きたい」って言うだけ言って結局行かないってのに慣れると、全てにおいて諦め癖がつく。「忙しい」っていう言い訳も同じ。忙しくないのに方便として使うだけになる。
音楽作れとか出演者としてイベントに参加しろとかそんな事は言ってない。
ポーズだけの「行きたい」で不毛な距離感を作るなら、もっと自分の本当に興味のある分野を深めて行ったほうが良いと思うだけ。
自戒の意味も込め。
- 2010/10/13(水) 22:17:17|
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