怠惰と汗と現実と

キムラヤスヒロ(鳩)公式ブログ

役立たないことを書く

オレは2012年の秋頃から、もう5年半ほど毎日このブログのエントリを更新している。
このブログそのものは10年以上前から開設されていたのだが、
しばらく更新をしていない時期も長くあったので、実際にはその5年半ほど前からこのブログは始まったと言っていいだろう。

どんなきっかけで毎日ブログを更新するようになったのかは覚えていない。
その少し前にはメールマガジンを創刊しているので、何かしらのコンテンツが欲しかったのかもしれない。
オレは自分の書く文章にコンプレックスがあった(今もあるが)ので、それを克服することが目的であったような気もする。
今でもそのコンプレックスは払拭できておらず、オレは自分の書く文章の下手さが嫌で仕方ないが、
少なくとも、文章を書くこと自体について辛さを感じることはなくなった。

今では、エントリを書かずにその日を終えるのは、歯を磨かずに眠るようなもので気持ちが悪い。
元からそうではあったが、その意味で言えば、このブログは誰かに読ませるというよりも自分のために書いているという側面が強い。

オレがこのブログを書く上で唯一心がけているのは、役立たないことを書くということだ。
オレの尊敬する、故・橋本武先生の本で、「すぐ役立つものは、すぐ役立たなくなります」という言葉があったが、これはその通りだ。
すぐ役立てることができる程度の知識は、所詮大して役立たない。

オレは、ハウツー本に載っているような当たり前のことをあたかも新たな発見であるかのごとく仰々しく書き、アクセス数を稼ごうとするようなエントリを書くくらいなら、死んだ方がましだと思っている。

もちろん、すぐ役立つものがすぐ役立たなくなるからといって、いま役立たないものが後で役に立つとは限らない。
オレのエントリに限って言えば、むしろずっと役に立たない可能性の方が高い。

だが、オレはそれで構わない。
オレは、すぐ役立つものを四六時中探しているような無駄な消耗にまみれた人間の顔も見たくない。
そのような人間がこのブログに訪れることを避けることができるというだけでも、役に立たないエントリを書き続ける意味はある。

【今日のまとめ】
ハウツー本のようなエントリを書く能力もない。


というわけで。
  1. 2018/05/16(水) 20:00:00|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

睡眠は大事だ

今さら言う話でもないが、睡眠は大事だ。
そのことを説く本がここ最近になって人気らしいが、
オレはそもそも、大事かそうでないかに関係なく、それなりに眠らないと活動することができない。
徹夜は人生で数回しかしたことがないし、そのときも、途中で短い眠りは挟んでいたから、「一睡もしない」という経験は人生で一度もない。
たとえどんなに忙しくとも「寝た」という事実がないと精神的に不安なので、たとえ数時間しか眠れない場合でもオレは必ず眠るようにしている。

8時間眠るのがいいと聞く。
これは人によって異なり、ナポレオンは3時間しか眠らなかったという。
躁状態の人間は一週間眠らないことも普通にあるから、精神や肉体によってそれは違い、中には毎日12時間眠らないと調子が悪いという人もいるのだと思う。
とはいえ、オレも8時間くらいの睡眠がちょうどいい。

もっとも、「8時間眠る」というのが熟睡している時間のみを指すとすると、なかなか達成が難しい。
布団に入ってから眠るまでに30分はかかるし、朝明るくなって早く目が覚めてしまうことを考えると、
8時間熟睡するには、最低でも起きる9時間くらい前には布団に入っていないといけないことになる。

オレは朝風呂派で、かつスロースターターなので、出発の2時間前には起きていないと基本的に間に合わない。
もし7時に家を出るとすると5時に起きることになるが、その9時間前とすると20時だ。
夕食や風呂(オレは夜にも入浴する)や歯磨きを済ませて20時に眠るということが現実的に可能かというと、相当に難しい。

そうだとすると、やはり、実際には8時間熟睡したほうがいいのは承知の上で、昼寝や移動中の睡眠を補助的に利用するしかないのだろう。

オレは昼寝が好きだ。
20分程度の昼寝であっても、相当にすっきりする。
オレは中高生や学生の頃、よく授業中に居眠りをしていたが、10分しか寝ていないのに1時間経ったかのような気分だった。
それだけ、昼寝は密度が高い。

大学生の頃、どこでも眠れるというサークルの先輩がいて、部室のベンチだろうがどこだろうが、いつも一瞬で眠っていた。
その人はいまは電通マンだが、できる人間はどこでも眠れるのだろう。
オレも、そこまでとはいかなくとも、スムーズに昼寝のできる能力を身に着けたいところだ。

【今日のまとめ】
サウナ後にすぐ眠れないのは相変わらず。


というわけで。
  1. 2018/05/15(火) 11:40:21|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

自分の考えと違う他人を批判しなければ気が済まないという人間は異常だ

ある政治家が、「子供は一人あたり三人産むべきだ」という発言をした、というニュースを目にした。
当然、その政治家はメディアやネット上で鬼のように叩かれている
(そもそも、このような発言がニュースとして取り上げられている時点で、それがプラスの文脈であるはずがない)。

だが、オレは別にいいのではないかと思う。
勘違いしないでほしいが、オレは別に、「子供は一人あたり三人産むべきだ」と考えているわけではない。
そうではなく、「子供は一人あたり三人産むべきだ」というのは単にその政治家個人の考えであって、
政府の見解でもなんでもなく、法的な拘束力もないのだから、放っておけばいいのではないかということだ。

その政治家は議員なので、気に入らなければ、次回の選挙で投票しなければいい。
オレは、その政治家の意見には納得していないが、放っておく。
いじめで一番辛いのは無視をされることだと言うが、その政治家を叩くのではなく、無視すればいい。

この件に限らず、自分の考えと違う他人を批判しなければ気が済まないという人間は多い。
そういう人間は異常だ。
「放っておく」という、無駄な消耗を避けるために最も必要なことができていないからだ。
他人を批判することは多くのエネルギーを消費するが、それによって得られるものはほとんどない。
もちろん、批判することによって自身に利益がもたらされる局面は存在する。
しかし、それはごく限られた場合だけだ。

今回の件で政治家を批判しても、その政治家は大臣ではないのでポジションを辞任するなどの結果にはつながらないし、
たとえ少数でも彼の意見に同調する人間が存在する以上、全国民の代表である議員を辞職する理由には当然ならない。
次の選挙のタイミングで彼に投票しないという行動によってのみ、彼に対する非難を具体化できる。

「批判からは何も生まれない」という言葉があるが、それは間違っているとオレは思う。
批判からは、無駄な消耗が生まれるからだ。
もっとも、だから批判を避けるという意味では、オレもその言葉の主と同じかもしれない。

【今日のまとめ】
このエントリも批判だと言われればそれまでだが。


というわけで。
  1. 2018/05/13(日) 22:00:08|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

スマートフォンの緊急地震速報に意味はない

きょう、緊急地震速報が鳴ったらしい。
「らしい」というのは、オレのスマートフォンは緊急地震速報をオフにしているので、オレはそのことを後から知ったからだ。

SNSの反応を見ると、「緊急地震速報で驚いた」とか「びっくりした」というような反応が多い。
驚くくらいならオフにしておいた方がいいとオレは思うのだが、そういうことを言う人は誰もいない。

緊急地震速報があったからといって、オレたちにできることは特に何もない。
速報から地震までの数秒間に避難をすることは難しいし、むしろ慌てて行動することで怪我をする可能性もある。
そもそも、電車や自動車に乗っている場合などは避難のしようがない。

技術がさらに進歩し、数分後の地震が感知できるようになれば話は別だが、
現時点での緊急地震速報は、ちゃんと知らせましたよ、という国の側からのエクスキューズにすぎない。
事実、緊急地震速報で怪我や命の危機から救われた、という話は聞いたことがない。

知っても意味のないものに驚いて神経をすり減らすのは、無駄な消耗だ。
災害に用心することは生き抜く上で欠かせないことだが、
少なくとも、スマートフォンの緊急地震速報をオンにすることに意味があるとはオレは思わない。

【今日のまとめ】
テレビ版の警戒音は好きだ。


というわけで。
  1. 2018/05/12(土) 22:46:10|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「所有感」に対する意識が変化してきている

ネット上で、「3500枚のCDを捨てた」という旨のタイトルのエントリを目にした。
その内容はタイトルから推測されるような単なる断捨離ものではなく、
サブスクリプションモデルが主流となった現状における音楽との向き合い方や、
捨てることをテーマとする一方でCDに対する愛着についても分析的に語られた真摯なエントリだった。
その内容については、「CD 捨てた」などで検索してもらえればすぐに出てくるので、ぜひ読んでもらいたい。

そのことと直接関係はないが、
オレはここ最近、「所有感」に対する意識が変化してきているという自覚がある。
これまでに何度か書いたかもしれないが、
端的に言うと、CDや印刷書籍を持つことが必ずしも「持っている」という精神的満足感につながらず、
むしろダウンロード形式でデータとして所有する方が、「持っている」という精神的満足感を得ることができる場合が増えてきたということだ。
それがなぜなのかは完全には分析できていないし、そもそも理屈で説明できるものなのかもわからない。
ただ、「クラウドにより、スマートフォンやタブレットに情報を集約できる」
というここ数年の技術的進歩がそれをもたらした可能性が高いとオレは考えている。

この「所有感」に対する意識の変化は、おそらくオレだけが感じているものではない。
スマートフォン上のカードゲームがこれだけ流行している事実がそれを物語る。

ゲーム上のカードはどれも単なる画像データにすぎないし、
サービスが終了すれば、たとえ課金していてもそれらのカードはゲームごと消えてしまう。
それでも、数万人から数十万人というアクティブユーザが、それなりの金を払って仮想のカードゲームを楽しんでいる。
それは依存症に似た部分もあるにはあるだろうが、
やはり、データであっても、カードを所有しているという感覚を多くの人間が味わえるようになってきたという側面が大きいはずだ。

物質に対するあたたかみ、という感情はオレも理解できる。
だが、多くの人間の間で、データにもそうしたあたたかみが生まれつつあることは無視できなくなってきている。
それに目を背けて物質にのみ依存することは、今後、無駄な消耗となるかもしれない。

【今日のまとめ】
新しい結び方。


というわけで。
  1. 2018/05/11(金) 22:34:07|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

広告欄

ぜひクリックをお願いします

広告欄その2

ぜひこちらもクリックをお願いします

プロフィール

キムラヤスヒロ(鳩)

「主に、オレの望みと喜びで。」

DLミニアルバム「主に、オレの望みと喜びで。」6曲入り、600円(税込)~

インターネット土鳩に寄付する(1口10円、シングル「フリスク」付き)

当ブログやメールマガジン、その他活動を充実させるための投げ銭支援をお願いしています。 特典(一口から)として、シングル「フリスク」のmp3およびWAVファイルを差し上げます。 ※振込みでのご支援にも対応いたします。mail@kimurayasuhiro.comまでご連絡をお願いします。

メールマガジン「インターネット伝書鳩」

メルマガ購読・解除
キムラヤスヒロ(鳩)公式メールマガジン「インターネット伝書鳩」

読者購読規約
>> バックナンバー
powered by まぐまぐ!
 

インターネット土鳩のほしい物リスト

ご支援をお願いいたします

ほしくないと言えば嘘になる物リスト

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

インターネット土鳩にメールする

ご意見・ご質問などございましたらお気軽にメールください

名前:
メール:
件名:
本文: