怠惰と汗と現実と

キムラヤスヒロ(鳩)公式ブログ

人の薦めるものを買う

このブログやメールマガジンで、オレは時おり、自分のおすすめのものを紹介する。
いわゆるガジェットであったり、本であったり、時には食べ物であることもある。

そして、そのエントリやメールマガジンを読んだ人が、オレが紹介したものを実際に買い、その感想を教えてくれるということがよくある。
オレはそれが嬉しい。
オレがおすすめするものは、オレが本当に気に入ったものだけだからだ。

オレも同様に、友人知人がネット上で薦めていたものを買うということが少なくない。
多くの場合、そのようにして買ったものは、気に入ったり、長く使えたりする。
それは、実際にいいものだというのももちろんそうだが、
「あの人が薦めていたのだから安心だ」という精神的なところもあるのだと思う。
だが、たとえ精神的なものであっても、現実に満足できているのなら何の問題もないし、むしろいいことだ。

Amazonのアフィリエイトでは、自分のアフィリエイトリンクから何かを買った人が、他に何を注文したのかも表示される(もちろん、個人は特定されない)。
それを眺めていて気になる商品を見付け、実際に買ってみたらいいものだったという経験もある。
オレのアフィリエイトリンクから買ってくれた人は、オレのブログやメールマガジンを読んでくれた人なので、必然的に趣味趣向が近いことの結果なのかもしれない。

世の中にはものが溢れている。
当然だが、この世の全てのものを買ったり、試したりすることはできない。
それなら、信頼のおける周囲の人が使っていたり薦めているものを買ってみるというのは、無駄な消耗を避ける上で有益なことだとオレは思う。

【今日のまとめ】
チープカシオとMOLDEXの耳栓はガチ。


というわけで。
  1. 2018/07/17(火) 14:42:48|
  2. 日記
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誤った「昭和」のクオリア

懐かしい物事について話したり書いたりするときに、「昭和だ」と言う人がいる。
だが、その人が「昭和だ」という物事を実際に目にしてみると、
それはまったく昭和の物事ではなく、平成初期や中期の物事であることが非常に多い。

そうした人々の「昭和」のクオリアは、実際の昭和のそれとはまったく異なっている。
あるいは、「昭和」を、単に「古い」くらいの意味合いで使っているのかもしれない。

これは無駄な消耗だ。

単に「古い」くらいの意味で使うのであれば、ただ「古い」と言えばそれで済む。
スラングやある種の符丁として「昭和」を使うことはオレも別に否定はしないが、
昭和でない物事を「昭和」と呼ぶのは、単なる誤りであると捉えられることがほとんどだし、そもそもスラングや符丁として使っているようにも思えない。
また、仮に、昭和でない物事を本当に昭和だと思いこんでいるのだとしたら、
それは少し調べればすぐにわかることを調べていないことになるから、やはり無駄な消耗になる。

来年で平成も終わる。
いまから20年も経つと、今度は、平成ではない次の元号のできごとも、「平成だ」と言われるようになるのだろうか。
この無駄な消耗は、元号という文化を持つ国特有のものなので、海外の例との比較が難しい。
その意味では、純粋に興味深いところだ。

【今日のまとめ】
オレがリアルタイムで知っていたら間違いなく平成だ。


というわけで。
  1. 2018/07/16(月) 18:26:02|
  2. 日記
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  4. | コメント:0

遅刻癖のある人

遅刻癖のある人がいる。
そういう人は、何度でも遅刻してくるし、基本的に時間は守れない。

このような人に対し、注意したり怒ったりして矯正しようとするのは無駄な消耗だ。
オレは医者ではないので診断はできないが、そういう人は何かしらの病気だからだ。
彼らの矯正に必要なのは治療であって、オレたちが注意したり怒ることではない。

よく、相手が遅刻したことに対して「自分の時間が奪われた」と考える人がいるが、これも無駄な消耗だ。
こうした人は、いわゆる「欠乏マインド」にとらわれている。
目先の怒りや苛立ちに意識が向き、遅刻する人と待ち合わせたのは自らの選択であるという事実が見えなくなってしまっている。
つまるところ、単にその相手自身が遅刻しただけで、「自分の時間が奪われた」という客観的事実はどこにも存在しない。
人生を限られたパイの奪い合いだと考えている人間は、そうした考え方になる。

繰り返すが、遅刻する人と待ち合わせたのは自らの選択である。
つまり、「遅刻する人と待ち合わせはしない」という選択ができたのに、それをしなかったということだ。
遅刻する人が嫌なのであれば、そうした人間とは距離を置けばいい。
実際、オレはほとんどの場合でそのようにしているので、相手に遅刻されることはほとんどない。
そもそも遅刻する人間とは付き合わないからだ。

自らの選択である以上、遅刻する人を糾弾するのは無駄な消耗だ。
それは、自らの選択を糾弾しているようなものだからだ。

「無駄な消耗を避ける」という信念に基づいてなお遅刻する人と付き合うということは、
必然的に、その相手は、遅刻癖があることを差し置いてもなお付き合うに値する魅力を有しているということになる。
それならば、その魅力にフォーカスすべきであって、遅刻癖を糾弾している場合ではない。

これは遅刻癖の問題に限られず、人付き合いの多くについて通用する考え方なので、折にふれて確認するようにしたい。

【今日のまとめ】
寝坊はオレも経験がある。


というわけで。
  1. 2018/07/15(日) 18:32:05|
  2. 日記
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ただ「わからない」、という状態

ここ数年、SNSやインターネット上の記事を見ていて感じるのは、
「わからない」という状態を嫌う人間が増えたということだ。
どんな物事でも白黒はっきりつけなければ気が済まない人間が増えているようにオレには思える。

世の中には、ただ「わからない」、という物事が無数に存在する。
もちろん、客観的な真実や、それに限りなく近いものは存在するが、
ほとんどの場合、それを可視化することは不可能だ。
その結果、白とも黒とも断定できない、ただ「わからない」ということが答えとなる物事が存在することになる。

それは、あくまで「ただ『わからない』」というのが最終的な答えなのだが、
その答えは切れ味が悪いので、そのことを素直に認められない人間は少なくない。
そうした人間は、突き詰めれば、白か黒かがはっきりするのではないかと考えてしまう。

ある事件において、当事者が内心でどう考えていたかということは、基本的にわかりようがない。
供述が得られたとしても、その供述内容が真実かどうかは、結局は信用性の判断になってしまうし、
もし当事者が死亡していたり供述できない場合には、もはや新たにわかることは何もない。
そうでなくても、「証拠がなく、どちらとも断定できない」ということは日常茶飯事だ。
もしこの世に神がいて、すべての物事を見透かしてくれていれば話が早いが、残念ながら神はいない。

昨年、ある事件において、世間は、ある女性を擁護する人間と、あるジャーナリストを擁護する人間に分かれた。
だが、この事件において、オレたちが言えるのは、「ただ『わからない』」というだけにすぎない。
女性が嘘を言っているかどうかはオレたちにはわからないし、
同様に、ジャーナリストが嘘を言っているかもオレたちにはわからない。
どちらを叩くことも擁護することも、オレたちにはできない。
しかし、多くの人間は、それを認められなかった。
その結果、当事者たちを差し置いた論争が繰り広げられたが、言うまでもなく、それは無駄な消耗であるにすぎない。

オレたちが無駄な消耗を避けるためにできるただ一つのことは、「ただ、『わからない』」という状態を認めることだ。

【今日のまとめ】
わかったところで特に得るものもない。


というわけで。
  1. 2018/07/14(土) 18:27:46|
  2. 日記
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レントゲンの辱め

先日のエントリに書いた交通事故の件で、火曜、念のため病院の整形外科で診察を受けた。
医師に事故状況を話した結果、腰のレントゲンを撮ることになり、レントゲン室まで向かった。

入り口にて、若い女性のレントゲン技師に、本人確認のため名前と生年月日を訊かれる。
荷物を棚に置き、レントゲン室に入った。
こうした経験は初めてではないし、この病院でレントゲンを撮られるのも初めてではない。

レントゲン台に仰向けになり、撮られるのを待つ。
すると、「ファスナーが写ってしまうので、膝までズボンを下ろしてください」とそのレントゲン技師は言った。

向こうは慣れているので何ということもないのだろうが、若い女性の前でズボンを下ろすのは何となく勇気がいる。
一応タオルを掛けてくれたが、このタオルがあまりにも頼りない。
頼りないというか、完全に隠れずに少し下着が見えている。
仰向けで撮影した後に横向きでも撮ったが、その際にはほぼ完全に見えていた。
こうなることをあらかじめ知っていれば、とも思ったが、ファスナーのないズボンなどオレは持っていない。
そんなもの、寝巻き用のスウェットくらいのものだろうから、結局回避できないものだったのだ。

レントゲン技師は依然としてまったく気にする様子はない。
毎日何十人もの人に同じことをしているのだから、気になりようがないのだろう。
ここまで気にする様子がないと、何だか、自分が恥ずかしがること自体がセクハラ的な行為になってしまう気さえしてきて、
無心になれないことが罪であるかのように感じられてくる。

最後まで、「早く終わってくれ」という気持ちが消えないまま撮影が終わり、オレはズボンを履いて待合室へと戻った。

結局、診察の結果、骨に異常はなかった。
オレのズボン脱ぎは、まさしく無駄な消耗に終わってしまったのだった。

【今日のまとめ】
せめて背中だったら。


というわけで。
  1. 2018/07/13(金) 22:30:49|
  2. 日記
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