怠惰と汗と現実と

キムラヤスヒロ(鳩)公式ブログ

身長の謎

オレの身長は172cmだ。
正確には171.9cmで、2014年に測ったものだ。

だが、周囲からはよく「175cmはある」と言われる。
実際、自分は175cmだという人と並ぶと、同じくらいあるか、オレの方が高かったりする。
数値の正確性は実際のオレの身体には何ら影響がないので、別にオレが172cmだろうが175cmだろうがどうでもいいのだが、
無駄な消耗とはいえ、気になるといえば気になる。

オレが計測のたびに前かがみになってしまっているという可能性もある。
だが、身体測定では測り慣れている人が測るのだから、もしそうならば指摘されるだろう。

オレは頭が大きいので、実際の身長よりも少し高く見えるというのが最も濃厚な線だ。
また、オレは割と姿勢がいいほうなので、
身長が同じかより高いが猫背であるという人より、普段は高く見えているという可能性もある。

一応、この数年間で身長が伸びたという可能性もないわけではない。
人によっては、20代まで伸びるという人もいるようだ。
もっとも、オレがそうである可能性はきっと低いだろう。

最近、あるファッション通販サイトが、着るだけで全身のサイズを測定できるボディスーツを発表した。
オレも実際に測定し、そのサイズに準拠したTシャツとジーンズを買ったが、あまりにジャストサイズで驚いた。

そのうち、身長もスマートフォンのアプリで測ることのできる時代が来るかもしれない
(もしかしたら、既にそういうアプリがあるかもしれないが)。
そうなったら、オレも身長を測り直してみたい。

【今日のまとめ】
体重は5年前に戻したい。

というわけで。
  1. 2018/06/21(木) 20:43:03|
  2. 日記
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オレはほとんど脚しか見ない

「好きなタイプ」というものを聞かれることがまれにある。
オレは、こと人間に関しては、そういう質問をしてこない人間がタイプだという答えになるが、
さすがのオレもそういう返答はしない。

こと異性に関していえば、「脚がきれいな人」ということになる
(もっとも、性的なものを別とすれば、たとえ同性であっても脚が汚いよりはきれいな方がいいのだが)。

「男はみんな女の胸に興味がある」ということを言う男や女がいるが、オレは胸にはほとんど興味がない。
オレは脚がきれいな女が好きなので、胸がでかい女はどうでもいい。

脚がきれいな女にブスは少ない。
実際に少ないかどうかは別として、脚がきれいな女を見かけると、オレはほとんど脚しか見ない。
街で脚がきれいな女を見かけると、つい追いかけてしまうこともあるくらいだ
(勘違いしないでほしいが、あくまで数秒くらい遠巻きに追いかける程度で、
ストーカーもしないし、もちろん撮影もしない)。
脚しか見なければ、顔には目が行かないので、必然的に、ブスが少ないという印象になる。

もっとも、顔がきれいな女は脚もきれいだ。
きれいだというのは、顔の造形が美人だということを意味しない。
顔の造形が多少悪くても、肌がきれいで、手入れに気を遣っている女はきれいだ。
そういう女は、脚にもぬかりがない。
他方で、ブスは脚も汚いことが多い。
オレがブスと認識するのは、顔の造形が美人であるかどうかではなく、肌がきれいで、手入れに気を遣っているかどうかだからだ。

こんなことを「好きなタイプ」を聞かれたときに答えれば、オレは頭のおかしい人間だと思われるかもしれない。
だが、実際にそう考えている以上、嘘をついても仕方のないことだ。

【今日のまとめ】
少し見るだけなら犯罪ではない。


というわけで。
  1. 2018/06/20(水) 18:50:11|
  2. 日記
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1万人以上が死んだ東日本大震災よりも、5人が死んだ今回の地震のほうが、なぜだか悲しい

昨日の関西の地震で、5人の死者が出たという。
今後増えていく可能性はあるが、少なくとも、東日本大震災のように1万人を超える死者が出るということはないだろう。
津波や大規模な火災さえなければ、地震の規模が大きくとも死傷者は減らすことができるということであり、
今後、防災技術がより発展すれば、いつか死者をゼロに抑えることのできる日が来るかもしれない。

不思議なのが、1万人以上が死んだ東日本大震災よりも、5人が死んだ今回の地震のほうが、なぜだか悲しいということだ。
無意識に、5人程度の死ならどうにかして防げたと思ってしまうのかもしれない。
あるいは、5人と少ないと、死んだ一人ひとりの顔が浮かんでしまい、彼らに感情移入する結果、悲しくなるのかもしれない。

先日オレの祖母が死んだが、人が1人死ぬとやはり悲しい。
普通に考えれば、1万人が死んだとなれば、その一万倍の悲しみが押し寄せてもおかしくない。
だが、もしそのような悲しみをまともに受ければ、人間の精神は破壊され、おそらく死んでしまうだろう。
だから、一種の防衛機制として、死者数が一定数を超えた場合には、悲しみが抽象化されるように人間の精神がプログラムされているのだと思う。
大勢が死ぬことで一人ひとりの命の重みが変わるわけでではもちろんないが、精神的なダメージに関しては、そうした局面があることは否定できない。

もっとも、これが戦争などの局面になると、
「ここまできたら1000人死のうが2000人死のうが同じだ」という考えになる可能性がある。
誰も死なないことと1人死ぬこと、1人死ぬことと5人死ぬこととでは大違いだが、
1000人と2000人では、なぜか大して変わらないように思えてきてしまう。
これは、先に述べた人間のプログラムのバグなのかもしれない。

人が死んだときに悲しむことは、無駄な消耗ではない。
だが、それを意識的にせよ無意識的にせよ、ある程度コントロールしなければ生き抜けないことは確かだ。

【今日のまとめ】
物の下敷きになることは「自然災害」なのだろうか。


というわけで。
  1. 2018/06/19(火) 19:33:07|
  2. 日記
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「会社が来いと言っているから」と言いながら出勤する人間は、 結局、会社のルールを守りたいだけだ

関西で大きな地震があったというニュースを目にした。

台風や地震などの災害が起きると決まって目にする光景だが、
今回も、「電車が動かないが、会社が出勤しろと言っているので出勤している」とか、
「こんな状況で出勤させる会社はおかしい」というような投稿がSNSで散見される。

こういう人間は、無駄な消耗をしている。
結局、会社のルールに原因を求めているからだ。

会社のルールで出勤することになっていようが、
災害で自分の身の安全が確保できない危険があるのであれば、そんなルールは無視して出勤しなければいいだけだ。
いい大人なのだから、自分で考えるのが当然のことだ。
会社も人間の集まりなので、あらかじめ全ての状況に対応できるマニュアルがあるわけではない。
その結果、不合理に思える指示がなされることは当然あり、そのような指示は破る以外にない。

その結果、会社から何らかの懲戒がなされたとしても、それは自分の身の安全と仕事を天秤にかけた結果なのだから仕方がない。

自分の身の安全を犠牲にして、「会社が来いと言っているから」と言いながら出勤する人間は、
結局、会社のルールを守りたいだけだ。
それが悪いことだとはオレは思わない。
自分の所属する組織のルールを守ることは、それはそれで合理的だし、大切なことでもある。

だが、会社のルールを守る選択をしたのであれば、それについてSNSで文句を言うのはおかしい。
守らないという選択があったのに、それをしなかったという自らの選択と矛盾しているからだ。

オレは、「自分の身は自分で守れ」と言いたいわけではない。
だが、無駄な消耗をしている暇があったら、自分の身を守った方がいいとは思う。

【今日のまとめ】
生き抜ければそれでいい。


というわけで。
  1. 2018/06/18(月) 14:06:08|
  2. 日記
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修学旅行で布団を畳む謎

先日、久々に渋谷駅から代官山の蔦屋書店まで歩き、そこからさらにラーメン二郎目黒店まで歩いて移動した。
いい散歩になり、それなりに楽しかったが、地元ではない街を歩いているにもかかわらず、ワクワク感があまりなかった。

それは、東京がつまらないとか味気ないとかそういう話ではなく、
単純に、自分が東京の側だからそう感じてしまうのだろう。
オレが名古屋や京都の街を同じように歩いている時に覚えるワクワク感は、
自分の持たない中部や関西の文化に対する憧れや羨望に伴うものなのだと思う。
もしオレが関西に生まれていて、観光で東京に来ていたら、いったいどのような気分を味わえたのだろう。

そういえば、中学校の修学旅行も京都だった。
修学旅行というと、修学旅行やその前に経験した宿泊学習などで毎回気になったのが、なぜ部屋を出る時に布団を畳むのかということだ。
修学旅行では、最後に部屋を出る際、布団からシーツを外し、布団を畳んで部屋の隅に置く。
それが礼儀作法であるというのは何となく分かるのだが、あれは無駄な消耗なのではないかとオレは当時から思ってしまっていた。

いくら綺麗に畳んであるといっても、旅館やホテルのスタッフは、そのまま布団を押し入れに戻すわけにはいかない。
見た目は綺麗でも、髪の毛が付着していたり、汚れているかもしれないからだ。
結局、いったん広げて汚れを確認したり、洗ったりしなければならないのだから、畳んであってもあまり意味はない。

洋式のホテルなどでは、使ったのか使っていないのかわからない状態に見えることを避けるために、
たとえ使っていないアメニティでもわざと開けたり、タオルを広げたりするようなことをするのが却っていいという話も聞いたことがある。
礼儀作法として多少は整えて帰ったほうがいいという気持ちは分かるが、修学旅行でやらされたように綺麗に布団を畳む必要はないのではないかとオレは思う。

そうはいっても、オレも典型的な日本人なので、みんながそうしているとオレも綺麗に畳んでしまう。
だが、そうした「日本人の精神性」のようなものを讃えるとそれは軍歌だと言って叩かれるので、無駄な消耗だ。

【今日のまとめ】
少なくともシーツは畳まなくていいと思う。


というわけで。
  1. 2018/06/17(日) 23:20:08|
  2. 日記
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